歴史建築が市民に開かれる街バルセロナの再生都市戦略

バルセロナ市は、「歴史的遺産の保護と市民への還元」を都市政策の根幹に据えている。これは単に古い建物を保存するだけでなく、「市民が日常的に利用できる生きた公共資産として再定義する」という考え方だ。
そのため、バルセロナには建設当時の目的(邸宅、修道院、学校、行政の中枢など)を受け継ぎながら、現代においても市民に開かれた公共施設として機能している建物が数多く存在する。
かつて貴族の邸宅(カサ)や教会、修道院、あるいは工場だった場所は、一部の人しか立ち入れない閉じた空間だった。これらを区役所、図書館、文化センター(Centre Cívic)へと転用することで、「誰もが自由に、無料で、日常的に」歴史的空間を享受できるようにしている。
バルセロナのような世界的な観光都市では、歴史的建築物がすべてホテルや有料観光スポット(博物館)に転じ、地元住民が立ち入れなくなる「観光公害」が問題となりやすい。そこで市は、街の中心部や歴史的建物の中に、あえて役所・学校・社会福祉施設を維持し続けている。これにより、観光客だけでなく「住民がそこで生活し続ける理由」を生み出し、街の空洞化を防いでいる。

オルタ・ギナルド区役所(Seu del Districte d’Horta-Guinardó)

バルセロナ(Barcelona) オルタ・ギナルド区役所(Seu del Districte d'Horta-Guinardó)

バルセロナ北部に位置するオルタ・ギナルド区役所は、かつての貴族の邸宅カン・カステリョを転用した建物。
この邸宅は19世紀、バルセロナ市街から離れた農村地帯であったこの地に、カルロス・ボフォリル・イ・デ・ムンタダスが夏の別荘として建設した。
設計を手がけたのは、アントニ・ガウディと同時代に活躍し、市内で最も多くの建築に携わった一人であるエンリク・サニエ・イ・ビラベッキア。
建物自体は修道院ではないが、周辺地域はサン・ジェロニ・デ・ラ・ムルトラ修道院の影響下にあった歴史を持ち、古い宗教的文脈の中で語られることもある。

カーサ・デ・レス・アルトゥーレス(Casa de les Altures)

バルセロナ(Barcelona) カーサ・デ・レス・アルトゥーレス(Casa de les Altures)
等間隔に配置された窓枠には、イスラム建築の意匠を継承した緻密な幾何学模様の浮き彫りが施されている。

バルセロナのオルタ・ギナルド区に佇むカサ・ダ・ラス・アルトゥラスは、1890年に民間上水道会社の支配人の私邸として建設された。
この建物の最大の特徴は、グラナダのアルハンブラ宮殿を模したネオ・ムデハル様式というアラブ風の豪華な外観にある。精緻な装飾が施された壁面やアーチ型の窓は、周囲の近代的な街並みの中で異彩を放つ。

1989年からは区役所の本部として活用されており、1990年には優れた修復建築を称えるFAD賞を受賞した経緯を持つ。建物自体は水の公園と呼ばれる緑豊かな敷地内に位置し、庭園部分は一般に開放されている。

バルセロナ(Barcelona) カーサ・デ・レス・アルトゥーレス(Casa de les Altures)
建物の低層部分と入口周辺を写した画像。上層階の華美な装飾と比較して落ち着いた外壁の質感を確認できる。窓の上部には段差のある独特な形状の縁取りが施されている。右端に見える現代的なガラスの入り口は、歴史的建造物が公共施設として改修され、バリアフリーや利便性を考慮して現在も実用されている証拠といえる。

コンベント・デ・サント・アグスティ文化センター(Centre Cívic Convent de Sant Agustí)

バルセロナ(Barcelona) コンベント・デ・サント・アグスティ文化センター(Centre Cívic Convent de Sant Agustí)
14世紀に建設されたゴシック様式の修道院遺構と現代的な建築デザインが融合した外観。かつてバルセロナ最大級を誇った敷地の大半は失われたが、残された石壁を緑の植物が覆い、修復されたガラス張りの上層階が重なる構造を持つ。歴史的な破壊と軍事転用を経て、1990年代に文化センターとして再生された経緯を物語る貴重な建築風景といえる。

バルセロナのリベラ地区に位置するコンベント・デ・サント・アグスティ文化センターは、14世紀の面影を残す歴史的建造物。
かつては市内最大級のゴシック様式修道院だったが、現在は回廊など一部が残るのみとなっている。1714年のバルセロナ包囲戦では激戦地となり、大部分が破壊された。その後はフィリップ・V世により軍事施設へ転用され、軍用のパン焼き工場として利用された負の歴史を持つ。

現在のカフェテラス周辺には当時のオーブンの名残が見られ、隣接するチョコレート博物館もパン職人組合との深い関わりから誕生した。
1990年代に再生されるまで廃墟同然だった空間は、今や電子音楽やデジタルアートの発信地として、新旧が融合する独特の魅力を放っている。

バルセロナ(Barcelona) コンベント・デ・サント・アグスティ文化センター(Centre Cívic Convent de Sant Agustí)
かつての修道院の面影を色濃く残すゴシック様式の回廊。尖頭アーチと円形の装飾窓が特徴で、現在はカフェテラスとして市民に開放されている。軍事転用時代にパン焼き工場として使われた当時のオーブンの名残が周辺に点在し、歴史の重層性を肌で感じられる。中世の修道院遺構をこれほど間近に、日常的な休息の場として利用できるスポットは、バルセロナでも希少な空間となっている。

カサ・ゴルフェリックス(Casa Golferichs)

バルセロナ(Barcelona) カサ・ゴルフェリックス(Casa Golferichs)

カサ・ゴルフェリックスは1901年にジュアン・ルビオー・イ・ベルベールによって設計された。
彼はアントニ・ガウディの弟子であり、師譲りの独特なスタイルが建物の随所に反映されている。

最大の特徴は石とレンガを融合させた外観にあり、当時の都市計画において非常に斬新な試みだった。中世の要塞を思わせる重厚さとエレガンスを兼ね備えた構えが道行く人の目を引く。

かつては富豪の私邸だったが、現在はバルセロナ市が所有する公共の文化センターとして活用されている。市民に広く開放される場所へと歴史的な転換を遂げた点は興味深い。
内部には当時の職人技が結集したセラミックタイルや繊細な木細工が保存されており、建築愛好家の間では知る人ぞ知る名建築として評価が高い。
華やかな観光地とは一線を画す落ち着いた空間で、バルセロナの建築史を肌で感じることができる。

Torre de la Sagrera(旧ラ・マキニスタ社・管理棟)

バルセロナ(Barcelona) Torre de la Sagrera(旧ラ・マキニスタ社・管理棟)

サント・アンドレウ地区に佇むトレ・デ・ラ・サグレラは、かつての重工業の記憶を今に伝える貴重な建築物。
1920年頃、スペインを代表する企業であるラ・マキニスタ・テレストレ・イ・マリティマ社の管理棟兼重役の住居として建設された。
設計を手がけたのは、ガウディと並び称される巨匠エンリック・サニエ・イ・ヴィリャベッキア。
外壁を飾るルイス・ブルによる青いタイル画には、工業や科学、農業を象徴する女神たちが描かれ、当時の産業への誇りが垣間見える。

1990年代に周囲の工場施設が次々と取り壊される中、この建物だけはその歴史的価値から奇跡的に解体を免れた。
現在はバルセロナ市によって修復され、巨大なサグレラ駅建設プロジェクトを展示する情報センターとして活用されている。
名称にある「Torre」は、バルセロナの古い言い回しで都市近郊の庭園付き邸宅を意味する。
建物の傍らにはかつての線路跡が一部残っており、かつてこの地が工業の拠点であった面影を肌で感じることができる。

Institut Juan Manuel Zafra(旧:市立芸術工芸学校)

バルセロナ(Barcelona) Institut Juan Manuel Zafra(旧:市立芸術工芸学校)

サン・マルティ地区に佇むインスティトゥト・フアン・マヌエル・サフラは、カタルーニャ・モダニズム建築の息吹を感じさせる歴史的建造物。
1892年の開校以来、この地域の労働者層へ、専門的な技術教育を授ける重要な拠点としての役割を担ってきた。

建物最大の特徴は、当時の高度なレンガ製造技術を象徴する赤レンガ主体の外観にある。装飾性と機能性が調和したその佇まいは、工業都市として発展を遂げた当時のバルセロナの熱量を今に伝えている。
現在は教育機関として利用されており内部見学はできないが、周囲を散策しながら当時の職人技が光る精巧な壁面や意匠を鑑賞するだけでも、観光の合間にこの街の産業史を深く味わう貴重な時間となる。

この記事をSNSでシェア!