医療文化が根付くギナルド地区の魅力
バルセロナ北東部に位置するバイ・グイナルド=カン・バロ社会サービスセンターの周辺は、市内でも類を見ないほど医療や保健施設が密集するエリアとして知られている。この地域の形成には、かつての衛生環境や地理的条件が深く関わっている。20世紀初頭に結核が猛威を振るった際、ギナルドの丘の麓は空気が清浄で乾燥していることから、療養に最適な地と見なされた。こうした背景から、プラ・イ・アルメンゴル研究所のような結核研究施設をはじめとする医療機関が次々と建設され、現在の医療拠点の礎が築かれた。
サン・パウモダニズム区域、世界遺産サンパウ病院
サン・パウモダニズム区域はバルセロナ北部に広がる旧サン・パウ病院の建築群を指し、モデルニスモ建築と医療思想が結びついた稀有な事例として知られている。設計を担ったのはリュイス・ドメネク・イ・モンタネールで、20世紀初頭における医療環境の理想像を建築によって具体化しようとした試みと位置づけられている。
エリアの象徴とも言えるのが、広大な敷地を誇るサン・パウ病院である。正式名称をサンタ・クレウ・イ・サン・パウ病院といい、建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネールによって設計された。20世紀初頭に「芸術が病を癒やす」という画期的な理念のもとで建てられたこの施設は、現在はユネスコ世界遺産にも登録されている。かつての病院機能は隣接する新病棟へと移ったが、その巨大な医療複合施設としての存在感は今も変わらず、周辺一帯をバルセロナの医療の中心地たらしめている。
自然環境を活かした治癒空間の工夫
サン・パウ・モダニズム区域の最大の特徴は、患者の治癒力を高めるために自然の力を最大限に活用した点にある。当時のバルセロナでは、アシャンプラ地区と呼ばれるエリアを中心に、建物を効率的に並べる規則正しい街づくりが進んでいた。しかし、この病院はその街並みに対してあえて建物を45度傾けて配置している。この角度は、地中海から吹き込む心地よい海風を敷地内に直接取り込むための計算によるものである。風が各建物の間を通り抜けることで、病室内の空気は常に新鮮に保たれ、感染症の蔓延を防ぐ天然の換気システムとして機能した。
また、太陽の光を一日中取り入れられるよう、すべての建物が南東を向くように設計されている。暗く閉ざされた空間は病を悪化させるという考えから、大きな窓を多数配置し、日光による殺菌効果と患者の精神的な安定を同時に狙った。効率性や都市の見た目よりも、病に苦しむ人間が太陽と風の恩恵を受けられる環境を最優先した結果、この独特の配置が生まれた。

分棟構造が生んだ理想の療養環境
この施設は、広大な敷地に多くの小さな建物が点在する構造をとっている。まるで一つの村のように、庭園の中に独立した病棟がいくつも並んでいる状態をイメージすると分かりやすい。建物を一つにまとめずバラバラに配置した理由は、患者を常に自然の中に置くためである。
それぞれの建物の間には、ハーブや花々が植えられた豊かな庭園が広がっている。患者は病室の窓から緑を眺め、回復期には庭を散歩することで、季節の移ろいを感じながら五感を刺激し、自然治癒力を高めることができた。また、病気の種類ごとに建物を分けることで、異なる疾患を持つ患者同士の接触を避け、静かな環境で療養に専念できる仕組みを整えた。
機能と美を両立した建築群の魅力
敷地の玄関口にある管理棟は、病院の運営を支える心臓部である。ここでは寄付を募るための華やかな応接室が設けられ、運営資金を確保するための重要な役割を担っていた。一方で、患者が実際に過ごす聖ラファエル館などの各病棟は、衛生面と心理面の両方に配慮されている。天井の角を丸くしたドーム型設計は、掃除のしやすさだけでなく、視覚的な圧迫感を抑える効果もあった。

敷地中央にある手術棟は、精密な治療を行うための工夫が凝らされている。安定した光を確保するために作られた北向きの巨大な窓は、日光の反射を抑えつつ、執刀医の手元を明るく照らし続けた。また、壁面を覆う青や白のセラミックタイルは、清潔さを保つだけでなく、患者の心を落ち着かせる色彩効果も計算されていた。

植物文様に託された治癒のメッセージ
壁面や天井を埋め尽くす植物文様は、当時の医学的知見に基づいた心理療法としての役割を担っている。設計者は無機質な病室が患者の気力を奪うと考え、室内を永遠に枯れない庭園に作り変えることで治癒力を引き出そうとした。

各病棟にはバラやアヤメ、月桂樹といったカタルーニャ地方に馴染み深い植物が描かれている。色彩心理学的なアプローチも取られており、回復を促すエリアには生命力を象徴する黄色の花々が、高熱に苦しむ患者の病室には鎮静効果を狙った青や緑の草花が配置された。

医学的な象徴性も深く、柱頭に見られるアザミの彫刻は毒を排出する効能を、月桂樹は病魔に対する勝利を意味している。さらに、外壁のオレンジの木のモチーフはビタミン補給の重要性を示唆し、敷地内の本物の木々と呼応させていた。これらのタイルは装飾であると同時に、消毒液で丸洗いできる衛生的な壁材でもあり、光を反射させて病室の隅々まで明るさを届ける機能も備えていた。

見えない動線が支える運営構造
地上に広がる穏やかな庭園の風景を乱さないよう、この病院には総延長2キロメートルに及ぶ地下通路が網の目のように張り巡らされていた。この地下空間は、病院としての忙しい日常業務を一手に引き受ける舞台裏であった。
温かい食事の配膳や、大量の洗濯物の運搬、さらには手術を終えたばかりの患者の移動に至るまで、あらゆる物流がこの地下で行われていた。地上の庭園をあくまで癒やしの聖域として保つために、地下に高度なインフラを集約させることで、理想的な療養環境が維持されていた。
知られざる運営の実情と過去の試練
1930年代のスペイン内戦時には、負傷兵の波に押され、廊下までベッドが溢れかえる惨状となった。理想的な自然環境を目指して作られた空間が、戦時下の極限状態に置かれたという暗い歴史も併せ持っている。さらに、20世紀半ばには医療の近代化により、複雑な植物文様が集中力を削ぐとして、美しいタイルが白いペンキで塗り潰された時期もあった。現在見ることができる鮮やかな文様は、近年の修復作業によってそのペンキを丁寧に剥がして蘇らせたものである。
現代社会で生きる歴史施設
2009年まで現役の病院として使用され、現在は国際機関のオフィスや観光施設となっている。かつての病室は、今ではWHOなどの会議室へと姿を変えている。バルセロナの市民にとって、ここは親族が治療を受け、あるいは自分自身が生まれた場所としての記憶が刻まれた、街の生と死を見守り続ける聖域である。


療養施設として使用されていた歴史を持つ社会サービスセンター
バイ・グイナルド=カン・バロ社会サービスセンター(Centre de Serveis Socials Baix Guinardó-Can Baró)
バイ・グイナルド=カン・バロ社会サービスセンターは観光ガイドに載ることが少ない施設だが、バルセロナ市北部の生活史を知る手がかりとして興味深い存在にある。周辺は急な坂と集合住宅が多く、高齢者や移民世帯が早くから集住した地域として知られてきた。そのため医療機関よりも先に、生活相談や福祉調整の拠点が求められ、現在の社会サービスセンターの前身となる窓口が二十世紀後半に置かれたとされる。
センターが入っている建物は、かつてカサ・デ・レポス・イ・デ・リクアシオ(Casa de Repòs i de Recuperació)という名称の、結核患者などのための療養施設として使用されていた歴史を持つ。この建物は建築家であるジョアン・ルビオ・イ・ベルベールによって設計され、1920年代から1930年代にかけて建設された。









かつての研究所が、今は野生動物のシェルターとしての役割を担う公園
ジャルディン・デル・ドクター・プラ・イ・アルメンゴル(Jardins del Doctor Pla i Armengol)
バルセロナのギナルド地区に位置するジャルディン・デル・ドクター・プラ・イ・アルメンゴル(Jardins del Doctor Pla i Armengol)は、かつて製薬会社の本拠地であり、結核治療の最前線だった場所である。1930年代に医師と実業家が設立したラビオサ研究所の敷地であり、当時は結核治療薬の製造や研究が盛んに行われていた。この庭園が一般公開されたのは2019年のことであり、それまでは個人の所有地として高い壁に囲まれていた。
現在、この庭園は生物多様性を保護するための拠点としての役割も担っている。バルセロナ市が管理に乗り出した際、長年放置されていたことが幸いし、都市部では珍しい両生類や昆虫の生態系が維持されていることが判明した。雨水を貯めるための古い水槽は、現在ではカエルやサンショウウオの貴重な繁殖地となっている。観光客が訪れるグエル公園のような派手さはないが、かつての製薬会社が残した機能的な設備が、巡り巡って野生動物のシェルターへと変貌を遂げた点は、都市開発における皮肉な結末といえる。

この場所が現在のような美しい緑地になる前、敷地内には多数の馬が飼育されていた。これは単なる趣味ではなく、結核の血清を作るための重要な工程に組み込まれていた。当時の医療技術において、動物の体内で抗体を作らせる手法が一般的であり、ここの馬たちは文字通り人命を救うための工場の一部として機能していた。庭園内には現在も当時の建物が残っているが、そこにはかつての研究室や厩舎の面影が色濃く刻まれている。



庭園内にある邸宅は現在、ヌリ・プラ財団の美術館となっている。ここにはラモン・プラ・イ・アルメンゴルの娘であるヌリ・プラが収集した、800点を超えるスペインのアンティーク家具のコレクションが収蔵されている。彼女はこの広大な敷地と建物を守るために、生涯を通じて開発業者からの買収提案を拒否し続けた。もし彼女が土地を売却していれば、この場所は今頃、巨大なマンション群に姿を変えていた可能性が高い。彼女の執念が、バルセロナ市内にこれほど広大な緑地を残す結果となった。

この庭園の歴史には、スペイン内戦期における暗い側面も存在する。1930年代後半、内戦が激化する中で、この堅牢な造りの研究所は一部が軍事的な用途に転用された。結核患者の救済という大義名分の裏で、戦略的な拠点として機能していた時期がある。また、戦後の混乱期には、一部の施設が特定の政治的意図を持つ活動の隠れ蓑になっていたという証言も残っている。現在、子供たちが遊ぶ公園の地下や背後の斜面には、当時の防空壕や隠し通路の跡が点在しており、華やかな観光都市バルセロナの負の遺産としての側面を今に伝えている。




































































































