モンセラット修道院(Santa Maria de Montserrat Abbey)

カタルーニャを代表する巡礼地であり、黒い聖母像で知られる修道院。ガウディは若い頃から晩年までこの地を特別視し、強い信仰心を抱いていた。建築作品は残していないが、モンセラットの岩山の造形や「自然そのものを神の創造物とみなす思想」は、サグラダ・ファミリア後期の造形理念に明確な影響を与えている。

バルセロナ近郊の山岳地帯に位置し、奇岩が連なる景観と宗教施設を同時に見学できる点が特徴とされる。合唱隊エスコラニアの歌声が響く時間帯は訪問者が多くなる傾向にある。展望台や軽い散策路も整備され、半日程度の訪問が一般的となっている。

標高が高く天候が変わりやすいため、防寒具や雨具の携行が望ましい。登山鉄道やロープウェイは運行時間が限られるため事前確認が必要とされる。宗教施設のため服装は露出を控え、ミサの時間帯は見学制限がかかる場合がある。週末や祝日は混雑しやすく、早めの移動計画が安心につながる。

ガウディが繰り返し訪ねた聖地と創作の原点

カタルーニャの聖地として知られるモンセラット修道院は、建築家アントニ・ガウディにとって精神的な支柱といえる場所であった。彼は生涯を通じてこの地を何度も訪れ、自身の代表作であるサグラダ・ファミリアのデザインにおいても、モンセラットの奇岩群から直接的なインスピレーションを得ている。

ガウディの足跡が残るモンセラットの知られざる道

ガウディがモンセラットに残した具体的な仕事の一つに、キリストの復活をテーマにした彫刻群の監修がある。これは山中の散策路にある「栄光の第1神秘」と呼ばれる記念碑であり、彼はこのプロジェクトに無償で協力した。当初は別の建築家が担当していたが、ガウディがその設計を大幅に変更し、洞窟の岩肌をそのまま生かすような自然と調和した造形に仕上げた経緯がある。また、修道院内部にある食堂の改修案も提出していたが、当時の修道院長との意見の相違により、その計画の多くは実現しなかった。

黒い聖母像と奇岩

モンセラット修道院の象徴である「黒い聖母像」は、ガウディの信仰心の核心に位置していた。彼はサグラダ・ファミリアの建設現場で働く職人たちに対し、技術的な指導だけでなく、精神性を高めるためにモンセラットへの巡礼を推奨していた。トリビアとして、ガウディが晩年にサグラダ・ファミリアの尖塔のデザインを検討していた際、モンセラットの山並みのシルエットと重なるように計算されていたという説がある。彼はこの山を「神が造った自然の寺院」と見なしており、人間が造る建築はそれに近づくための模倣であると考えていた。

モンセラット修道院(Santa Maria de Montserrat Abbey)

ガウディが挑んだ困難と修道院側との意外な対立

ガウディと修道院側の関係は、必ずしも常に良好であったわけではない。修道院側が提示した予算や納期の制約に対し、細部へのこだわりを一切捨てないガウディが激しく対立した記録が残っている。特に、修道院の一部の装飾について、ガウディが独断で進めたデザインが「あまりに前衛的すぎる」として拒絶された事実は、彼にとっての小さな黒歴史といえる。彼は自分の芸術が理解されないことに憤り、一時期はモンセラットでの活動から距離を置いたこともあった。しかし、最終的には信仰心が勝り、彼は再びこの地のために筆を執ることになった。

弟子たちが受け継いだ思想

ガウディの死後、彼の弟子たちがモンセラットの整備を引き継いだ。現在、修道院の周辺で見られる近代的な設備や装飾のいくつかは、ガウディが残したスケッチや思想に基づいている。サグラダ・ファミリアの完成が近づくにつれ、そのモデルとなったモンセラットの重要性は再認識されている。

モンセラットの未完の聖域

アントニ・ガウディはモンセラットにおいて、壮大な宗教建築の構想を抱いていた。この計画は1900年代初頭、ガウディがサグラダ・ファミリアの建設に没頭していた時期と重なる。

ガウディが構想した計画案の中には、既存の地形を大胆に利用したモニュメントが含まれていた。その一つが、モンセラットの象徴である「カバヤ・ベルナ」と呼ばれる巨大な岩柱を、そのまま巨大な鐘楼へと作り変えるという案であった。彼は岩山の頂を削り、あるいは付け加えることで、山全体を一つの巨大な大聖堂として完成させようと試みた。これは単なる建物の設計ではなく、自然そのものを建築の一部として組み込むという、現代のランド・アートにも通じる過激な発想に基づいていた。

未実現に終わった背景

この計画が日の目を見なかった背景には、資金難だけでなく、あまりにも現実離れした規模があった。当時、ガウディの後援者であったエウセビ・グエルもこの聖地への強い関心を示していたが、岩山の地質的な制約や工事の困難さが壁となった。また、ガウディ自身がサグラダ・ファミリアという巨大プロジェクトに全精力を注ぐことになったため、モンセラットの計画は詳細な図面が残される前に立ち消えとなった。もし実現していれば、サグラダ・ファミリアをも凌ぐ「地球規模の教会」が出現していたと言われている。

ガウディが提案したとされる案の中には、山肌を大規模に削り取り、そこへ階段や礼拝堂を埋め込むという、当時の修道院側からすれば景観破壊とも取れる内容が含まれていた。自然を愛したガウディであったが、その愛は「神の造形を人間が完成させる」という独自の哲学に基づいていたため、既存の景観を維持しようとする保守的な層からは異端視されることもあった。結果として、彼の壮大な構想は「狂気の沙汰」として退けられ、現在ではわずかなスケッチと一部の装飾にその断片を留めるのみとなっている。

モンセラット(Montserrat)に行ってみた

「聖なる鋸山」を意味するモンセラットは、スペインのカタルーニャ地方にある奇岩の山々が連なる聖地。バルセロナから北西に約50キロメートルの位置 …