波打つ石造ファサードが特徴の集合住宅で、ガウディの有機的デザインを象徴する代表作。屋上や中庭も独創的な造形。
拒評にさらされた世界遺産
アントニ・ガウディが設計したカサ・ミラは、現在はバルセロナを象徴する世界遺産として称賛を集めているものの、建設当時は地元住民から激しい拒評にさらされた過去がある。波打つような曲線を持つ外観が当時の建築基準や美的感覚から大きく逸脱していたため、石切り場を意味する「ラ・ペドレラ」という蔑称で呼ばれた。この名称は現代では愛称として定着しているが、本来は周囲の建物との調和を乱す醜悪な建築物に対する皮肉として名付けられたものである。



バルコニーの鉄製手すりを下から見上げた細部。熱した鉄を叩いて成形する鍛造の技術が駆使されており、まるで本物の植物が壁面に絡みついているかのような造形を見せている。石材の荒い表面と滑らかな鉄の対比が、建物の力強い生命力を表現している。
施主との関係最悪
施主であるペドロ・ミラとガウディの関係は、建設の過程で修復不可能なほど悪化した。特に大きな対立の原因となったのは、屋上に設置される予定だった巨大な聖母マリア像である。当時バルセロナで発生していた反教会暴動を恐れたミラは、建物を暴徒の標的にさせないために像の設置を拒否した。敬虔なカトリック教徒であったガウディはこの決定に憤慨し、一時は設計を放棄する事態にまで発展した。最終的に像が設置されることはなく、現在の屋上には独特な形状の煙突や換気口が並んでいる。


金銭面でのトラブルも深刻であった。ミラはガウディの過剰な設計変更や予算超過に不満を抱き、最終的な報酬の支払いを拒んだ。これに対してガウディは訴訟を起こし、勝訴して得た報酬の全額を修道院に寄付したというエピソードが残っている。また、建物が当時の都市計画の規定サイズを超えていたため、バルセロナ市から高額な罰金の支払いを命じられるなど、経済的にも順風満帆なプロジェクトではなかった。
ガウディの死後にインテリア変更
当時のバルセロナ市民にとって、この建物は笑いの種でもあった。風刺画の題材として頻繁に取り上げられ、潜水艦の格納庫やハチの巣などと揶揄された。入居を希望する住人がなかなか現れず、ミラ夫妻は家賃収入の確保に苦労したという記録もある。さらに、ミラ夫人はガウディがデザインした曲線的な家具や内装を嫌い、ガウディの死後にその多くを廃棄して自分好みのルイ16世様式のインテリアに変更してしまった。



使い勝手が悪かった
技術的な側面では、当時としては極めて先進的な地下駐車場を完備していたことが特筆される。しかし、設計ミスにより車がスムーズに曲がりきれない箇所があり、実際には使い勝手が悪かったという皮肉な実態もあった。現在では建築工学の傑作とされるカサ・ミラだが、その歴史を紐解くと、施主との決裂や市民からの冷笑、そして宗教観の対立といった泥臭い事実が積み重なって形成されたことが理解できる。
居住空間としてのカサ・ミラの現状
現在カサ・ミラに新たに入居することは実質的に不可能である。この建物は世界遺産に登録されており、現在はカタルーニャ・ラ・ペドレラ財団の所有となっているが、一部の住居スペースには現在も一般の居住者が生活している。しかし、これらの居住者はかつての所有者と極めて古い賃貸契約を結んでいる人々であり、その権利は世襲的な要素を含んでいる。

かつての契約条件には、三世代にわたって家賃を据え置くという条項が含まれていた。そのため、バルセロナ中心部の一等地にありながら、居住者たちは極めて安価な家賃で住み続けている。具体的には、約三百平方メートルの広さがある部屋の家賃が月額十五万円程度という、現在の相場からは大きく乖離した価格のまま維持されている。

居住者が退去したり死去したりした後の空き部屋は、財団によって管理され、観光客向けの展示スペースやオフィス、文化施設の事務局として転用されるのが通例となっている。
事実上の空き家待ちは発生しておらず、公的な入居募集も行われないため、観光客として内部を見学することだけが一般人に許された関わり方となっている。世界遺産の中に住むという特権は、二十世紀初頭からの歴史を直接引き継ぐごく限られた人々にのみ残された、消えゆく特権であると言える。



















