タラゴナ(Tarragona)へ行ってみた その2

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古代から現代まで刻まれたタラゴナの歴史

タラゴナ旧市街(パル・アルタ地区)の街並みは、歴史の積み重なりを感じさせる非常に興味深いエリア。こうした住宅がいつ頃建てられたかについては、いくつかの時代背景が重なっている。このエリアの建物の多くは、基礎や骨組みが14世紀から15世紀の中世に遡るものが少なくない。しかし、現在私たちが目にする外観やファサード(正面部分)の多くは、18世紀から19世紀にかけて改築や増築が行われた姿。

人々の生活圏の中に完全に溶け込んでいる遺跡

旧市街を歩くと、中世や近代に建てられた民家の壁の中に、ローマ時代の巨大な石組みがそのまま組み込まれている光景を頻繁に目にする。これは歴史の連続性を視覚的に理解する上で非常に貴重な資料といえる。タラゴナの人々は、古い建物を壊して新しいものを作るのではなく、強固なローマ時代の構造を土台として利用し、その上に新しい生活を積み重ねてきた。

ローマ時代の遺跡の一部である石造りのアーチや壁。かつてこの地を支配したローマ帝国の建築技術を今に伝える貴重な遺構となっている。現在では生活空間に溶け込んでいる。

かつての戦車競技場であるシルコ・ロマーノの遺構は、現代の住宅街の地下や建物の隙間に潜むように存在している。一部のレストランや店舗では、店内の壁がそのまま競技場の観客席の土台であったり、地下室がローマ時代の通路であったりすることも珍しくない。こうした都市構造は、世界遺産としての価値を認められる大きな要因となっている。

カラフルな現代の集合住宅の前にローマ時代の石造りのアーチが残る風景。数千年前の遺構と、住民が実際に暮らす建物が数メートルの距離で隣接している。新旧の建築物が違和感なく混ざり合っている景観は、長い歴史を持つタラゴナを象徴する光景といえる。

遺跡を現代に生かす保全の知恵

タラゴナにおける遺跡保全は、現代の都市機能を維持しながら過去の遺産を守るという、極めて高度なバランスの上に成り立っている。タラゴナ円形闘技場などの大規模な遺構では、崩落を防ぐための補強が必要となる。そこでは、歴史的な石材と現代の金属素材やコンクリートが共存しているが、これらはあえて材質の違いを明確にすることで、どこまでがオリジナルでどこからが補修されたものかを判別できるように配慮されている。

保全の現場では、単に物理的な保護を行うだけでなく、住民の利便性も考慮される。遺跡があるために道路が作れない場所では、遺跡の上に歩行者用のデッキを設置し、景観を損なわずに通行を確保する工夫が見られる。また、建物の壁面を利用したアートも、都市の調和に一役買っており、観光客の目を引く現代的なアクセントとなっている。

セデス広場にある巨大なだまし絵が描かれた建物。バルコニーに集まる人々やカタルーニャの旗など、タラゴナの日常が壁一面に表現されている。一見すると本物の窓やバルコニーのように見える精巧な技法が特徴。フォトスポットとして人気が高い。

こうした取り組みにより、タラゴナは遺跡を「保存されている過去」から「活用されている現在」へと昇華させた。住民たちは、自分たちの家の壁がローマ時代の石であることに誇りを持ち、それを日常の一部として受け入れている。歴史教育の場としても、教科書の図版を見るより、実際に生活している街の壁に触れる方が、高校生にとっても歴史を身近に感じる機会となるはずである。

狭い路地の両側に古いアパートや店舗が並ぶ旧市街の街並み。このような中世の面影を色濃く残す路地裏の風景は、ヨーロッパの歴史都市ならではの奥行きのある空間を形成している。

ローマ皇帝ゆかりの街・再利用から見える歴史

タラゴナがこれほどまでに豊かな遺構を残している背景には、ローマ帝国第二代皇帝アウグストゥスの存在がある。彼は紀元前20年代にこの地に滞在し、タラコを帝国の直轄領の中心地として整備した。当時建設された巨大な公共広場や円形競技場は、その規模から当時の街の繁栄ぶりを今に伝えている。

しかし、ローマ帝国の崩壊後、これらの巨大建造物は本来の目的を失った。中世の時代になると、人々は競技場の石材を自分たちの家や教会の建築資材として「再利用」し始めた。現代の感覚では破壊行為に見えるかもしれないが、この再利用という行為こそが、結果として遺跡を現代まで残すことにつながったという側面がある。完全に解体されるのではなく、新しい建築物の一部として取り込まれたことで、都市の骨組みが維持されたのである。

地下から発掘された巨大戦車競技場の謎

旧市街の地下に広がるシルコ・ロマーノ(戦車競技場)の調査は、タラゴナならではの困難と発見に満ちている。ここは長さ約325メートル、幅115メートルという巨大な施設であったが、ローマ帝国崩壊後に街が縮小すると、競技場の壁や座席の傾斜を再利用して新しい住居が密集して建てられた。

ローマ時代の遺跡の内部構造。地下道や観客席の土台部分が露出しており、複雑な石積みや修復の跡を確認できる。

20世紀後半、ある建物の改修工事中に地下から巨大な石造りのアーチが次々と発見された。当初は単なる地下室と思われていたが、調査を進めると、それらはかつて数万人の観客を支えていた競技場の内部通路(ヴォールト)であることが判明した。現在、観光客が歩くことのできる地下通路の多くは、個人の所有地やアパートの地下を市が買い取り、あるいは権利を調整して発掘・公開にこぎつけたものである。

掘れば出てくる遺構!生活と考古学の共存

遺跡の保護は、常に現代の生活とのせめぎ合いがある。例えば、ある広場で地下駐車場を建設しようとした際、ローマ時代のバシリカ(公会堂)の一部が見つかったことで計画が大幅に変更された事例がある。タラゴナでは、地面を数メートル掘れば必ずといっていいほどローマ時代の遺構に突き当たるため、建設業者は常に考古学者の立ち会いのもとで作業を行うことが義務付けられている。

こうした発掘エピソードは、タラゴナの人々にとって遺跡が「特別な場所にあるもの」ではなく「自分たちの足元にあるもの」であることを再認識させてきた。発掘調査によって明らかになったのは、古代の都市計画がいかに強固であったかという事実だけでなく、中世から現代に至る人々が、その遺産をいかに柔軟に、かつ強欲なまでに再利用して生き抜いてきたかという逞しい歴史である。

街中に設置された装飾タイル。人生の逆境に立ち向かうことについて記された格言が記されている。スペインではアズレージョと呼ばれるタイル装飾が一般的であり、公共の場にメッセージを残す文化が根付いている。
タラゴナの旧市街に見られる狭い路地。両側には歴史を感じさせる建物が並び、上部には生活感のあるベランダや看板が突き出している。
実際の地形を活かした自然な石畳の坂道と、そこにある生活感や時間の積み重ねまでは再現できず、非常に希少な景観。
年季の入った木製の古い扉。表面には販売中を意味するスペイン語や電話番号が手書きで記されている。歴史ある建物が修復を待つ様子や、そのままの状態で残されているリアルな街の姿を映し出している。
アーチ状の石造りの跡が壁に埋め込まれており、建物の改築を繰り返してきた歴史が視覚的に伝わる。スペインらしい色彩感覚と、古いものを壊さずに活用する姿勢が同居している。ローマ時代の名残が壁の一部として残っている住宅街の風景は、歴史の深さを感じさせる。
石造りの柱とパーゴラが特徴的な広場の休憩スペース。奥にはテラス席のある飲食店や子供向けの遊具が設置されており、市民の憩いの場として機能している。地中海沿岸特有の明るい石材を用いた建築様式が周囲の景観と調和している。
不揃いな石を積み上げた壁は、タラゴナの長い歴史を感じさせる構造物であり、街の至る所に残る城壁や遺構の一部を成している。
古代ローマ時代の詩人であるマルクス・ウァレリウス・マルティアリスの詩が記された案内板。ラテン語の原典とカタルーニャ語の翻訳が併記され、当時のタラゴナの海岸や狩猟の様子が描かれている。
歴史的な建物の前にあるテラス席。古い石壁に囲まれた空間での食事体験は現地特有のもの。
タラゴナ大聖堂へと続くメインストリートの一つ。通りの先には、壮麗なカテドラルのバラ窓がアイストップとしてそびえ立ち、歩行者を歴史的中心部へと導いている。
タラゴナ大聖堂の門を飾る聖人たちの彫刻群。ゴシック様式の繊細な装飾が施され、各像が経典などの持ち物を手にした姿で並んでいる。
大聖堂の前でギターを演奏するストリートミュージシャン。重厚な彫刻が並ぶ歴史的建造物の入り口付近で、楽器のケースを広げて座っている。
タラゴナの名物行事である人間の塔(カステイス)の大きな写真が窓に掲げられた建物。この伝統文化はユネスコ無形文化遺産にも登録されており、街のアイデンティティとなっている。
石造りのアーチ型開口部にはめ込まれた装飾的な鉄格子。放射状に広がるデザインは、防犯上の機能だけでなく、建物の外観に芸術的なアクセントを加えている。スペインでは19世紀から20世紀初頭にかけてこうした職人技の光る鉄細工が発達した。
1887年の年号が記された、繊細な唐草模様の透かし彫りがある玄関口。重厚な木製の扉と、長年の風雨で表面が剥がれ落ちた石壁が、建物の経てきた年月を物語っている。100年以上前の建築がそのまま住宅やオフィスとして現役で使用されている例は非常に多く、古いものを修繕しながら使い続ける現地の文化的な背景がこの1枚に凝縮されている。
緩やかな坂道になった旧市街の商店街。歴史的な景観を損なわずに現代の経済活動が行われている。
建物の壁面に施されたエスパシオ・クレアティーボ(創造的空間)という文字入りのモザイク装飾。
集合住宅の入り口。ヨーロッパの古い街並みでは一般的だが、機能性と装飾性を両立させた門扉のデザインは、日本の住宅街ではあまり見かけない独特の様式といえる。
スペインの都市部では、限られたスペースを活用して園芸を楽しむ文化が根付いている。石造りの建物とアイアンワークの装飾が織りなす外観は、この土地ならではの景観を形成している。
カタルーニャの旗や政治的なメッセージが掲げられた建物の間の路地。バルコニーにはリボンや横断幕が飾られ、地域住民の意思表示が日常の風景に組み込まれている。現地の社会情勢や地域アイデンティティへの意識の高さを物語っている。
広場で開催されている屋外市場。テントの下には新鮮な野菜や果物が並び、多くの人々が買い物を楽しんでいる。
路地の奥にあるシャッターに描かれたピカチュウ。

世界遺産・タラゴナ円形闘技場(Amfiteatre romà de Tarragona)

タラゴナ円形闘技場(Amfiteatre de Tarragona)は、古代ローマ時代のエンターテインメントの殿堂であり、タラゴナ(当時のタラコ)で最も象徴的な世界遺産の一つ。
紀元2世紀(ハドリアヌス帝の時代)に建設された、約14,000〜15,000人を収容できる巨大な施設。世界中に残るローマ時代の円形闘技場の中でも珍しく、「地中海を背景にしている」のが最大の特徴。

この場所が選ばれた理由の一つには、海外から連れてきた猛獣を船から直接運び込みやすかったという実用的な背景もある。
闘技場の中心部には、石が十字の形に並んでいる。これは、後世(6世紀や12世紀)にこの場所に建てられた教会の跡。キリスト教が広まった後、かつての残酷な見せ物の場が、殉教者を悼む神聖な場所へと塗り替えられていった。発掘チームは、後の時代の教会を完全に取り壊してローマ時代を露出させるのではなく、教会の基礎も残すことで、この場所が経てきた変遷を丸ごと保存する決断を下した。
剣闘士(グラディエーター)同士の死闘や、猛獣との戦い、さらには公開処刑が行われる場所でした。3世紀には、キリスト教の司教聖フルクトゥオソスらがここで処刑されたという歴史も残っている。

楕円形の形状を活かして配置された座席は、地形を利用して削り出された部分と石を積み上げた部分で構成されている。最下部のアリーナへと続くアーチ状の通路も確認できる。これほど巨大で円形の野外劇場の原型をとどめた遺跡は、ヨーロッパや北アフリカの旧ローマ領以外では見ることができず、土木技術の高さを今に伝えている。
客席の背後から地中海を臨む構図。競技場のすぐそばを線路が通り、その先には貨物船が浮かぶ現代の港湾風景が広がっている。
闘技場の周囲や敷地内に自生している植物の様子。乾燥した地中海性気候に適応したアロエなどの多肉植物が、歴史的な石造遺構のそばで育っている。
この遺跡は、長らくその正体が正確には把握されていなかった。観客席の遺構は、かつてその上にサンタ・マリア・デル・ミラクル教会という別の時代の建造物が建てられていたため、地中に埋もれたり、建物の土台の一部に作り替えられたりしていた。
無料で周囲から見学できるが、有料で中に入る事も可能。
円形競技場の一部や防衛のための堅牢な石造りの塔。

自然の中に残るラス・ファレーラス水道橋(Aqüeducte de les Ferreres, Pont del Diable)

タラゴナ近郊に、ローマ帝国時代の高度な土木技術を今に伝える巨大な遺構が残っている。公式名称をラス・ファレーラス水道橋といい、現地ではポン・デル・ディアブル、すなわち悪魔の橋という名で親しまれている。

この構造物は、紀元前1世紀から紀元1世紀にかけて、初代ローマ皇帝アウグストゥス・カエサル・オクタウィアヌスの治世下に建設された。当時のタラゴナはタラコと呼ばれ、イベリア半島におけるローマの主要拠点として繁栄を極めていた。都市の拡大に伴い、増大する水の需要を賄うために、約15キロメートル離れたフランコリ川から水を引き込む必要が生じ、その経路の一部としてこの水道橋が築かれた。

名称の由来については、かつてこの周辺に鉄工所や鍛冶屋を意味するフェレリエスが存在したことにちなんでいる。ローマ帝国の滅亡後、維持管理の体制が崩壊すると、中世には他の建物を造るための石材として一部が持ち去られるなどの被害にも見舞われた。しかし、18世紀まで実際に水供給の機能が維持されていたという記録もあり、驚異的な耐久性を証明している。1905年にはスペインの文化財に指定され、2000年にはタラコの考古遺産群の構成資産としてユネスコの世界文化遺産に登録された。フランスのポン・デュ・ガールといった有名な水道橋と比較すると、訪れる観光客の数は限られており、静寂の中で歴史の重みを感じられる穴場のスポットとなっている。

水道橋へと続く未舗装の遊歩道。周辺は地中海性の植生に囲まれた自然豊かな環境。
水道橋の周辺に自生している植物。白みがかった葉と小さな黄色い花が特徴的で、乾燥した地中海沿岸の気候に適応した植生を示している。遺跡だけでなく、こうした現地の自然環境も当時の風景の一部を構成している。
敷地内には、古代ローマ時代の建設風景を描いた解説板のイラストが設置されている。巨大な木製の起重機や牛車を使い、石材を積み上げていく当時の高度な土木技術を視覚的に伝えている。下部にはタラコ周辺の他の遺跡も紹介されており、歴史的背景を学ぶ入り口として機能している。

精巧な石の積み上げが実現した二層構造

ラス・ファレーラス水道橋の最大の特徴は、接着剤としてのモルタルを一切使用していない点にある。オプス・クアドラータムと呼ばれる伝統的な技法が採用されており、精巧に切り出された石灰岩のブロックを、石自体の重みだけで積み上げて固定している。全長約217メートル、高さは約27メートルに及び、上下2層に重なる優美なアーチ構造が視覚的な安定感と美しさを生み出している。上層には25、下層には11のアーチが並び、谷をまたいで水を運ぶための堅牢な基盤を形成している。

接着剤を使わずに石材の重みと形状のみでバランスを保つ「空積み」の技法が観察できる。石の表面には切り出しや加工の跡が残り、当時の石工の作業精度がうかがえる。

スペイン国内に現存するローマ時代の水道橋としては、セゴビアにある水道橋に次ぐ規模を誇る。19世紀から20世紀にかけて大規模な保存修復作業が実施されたことで、現在もその姿を拝むことが可能となっている。しかし、石灰岩という素材の特性上、現代特有の課題も抱えている。酸性雨や周囲の環境変化による石材の浸食は現在進行形で続いており、世界遺産としての保存状態をいかに維持していくかが、今後の重要な命題となっている。

静かな森に残る古代遺構の静寂

タラゴナの中心部から少し離れた森の中に位置するこの水道橋は、訪れる者に都市の喧騒を忘れさせる体験を提供する。周囲には遊歩道が整備されており、橋のたもとからその巨大さを見上げるだけでなく、かつて水が流れていた最上部の通水路を実際に歩いて渡ることもできる。橋の上からは地中海へと続くカタルーニャの豊かな自然を一望でき、古代のインフラが風景に溶け込んでいる様を確認できる。

石材の1つ1つが巨大であり、人の背丈を優に超える厚みがあることがわかる。

派手な観光演出こそないものの、石の一つひとつに刻まれたノミの跡や、年月を経て変色した石灰岩の質感は、写真や映像では伝わりきらない圧倒的な存在感を放っている。かつてアウグストゥス・カエサル・オクタウィアヌスが眺めたかもしれない景色と、その意志を形にした無名の石工たちの仕事ぶりが、今もこの谷間に静かに佇んでいる。

重厚な石の質感が空の青さと対比され、構造物としての力強さが際立っている。1世紀頃に建設されたといわれ、約2000年もの間その場に立ち続けている耐久性は驚異的といえる。
水道橋の最上部、かつて水が流れていた通水路の様子。現在は人が歩けるようになっており、細長い石の通路が対岸へと一直線に伸びている。
橋の全長は約217メートルに及び、対岸へ向かって吸い込まれるような奥行きがある。安全柵などは最小限にとどめられており、遺跡そのものの形状を肌で感じることができる。
帰路は、歩道のない高速道路を歩くようGooglemapに誘導された。

旅の締めくくりとタラゴナ旅の振り返り

スペインのタラゴナは、ローマ時代の遺跡と現代の建物が融合し、街全体がひとつの芸術作品のような景観を呈している。バルセロナから列車で1時間程度の距離に位置するため日帰り観光も可能だが、街の奥深い魅力を十分に味わうには宿泊を伴う滞在が適している。古代からの歴史が息づく独特の雰囲気は、短時間の滞在では惜しいほどである。次回の訪問では、美しい地中海を眺めながら地元の新鮮なシーフード料理も心ゆくまで楽しみたい。

タラゴナ駅のホームは至ってシンプル。ホームの向こうはすぐにビーチ。
次回はビーチリゾートも散策してみたい。

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