バルセロナ海洋博物館(Museu Marítim de Barcelona)
地中海と大西洋に分かれた2つの「スペインの海」
スペイン全土には大小合わせて30以上の海洋博物館や海軍関連博物館が存在する。数だけを見れば海洋国家の自負が強そうに見えるが、実態は少し異なる。まず前提として、スペインにおける海は一つではない。地中海と大西洋は、地理的に異なるだけでなく、歴史的にも文化的にもまったく別の意味を与えられてきた。
地中海は内海であり、港と港を結ぶ生活圏だった。商人が行き交い、船はビジネスの道具、海は管理できる空間として捉えられてきた。一方、大西洋は外洋であり、未知や拡張、征服と結びついてきた。この分断は、スペインの海洋史を一つの国家物語にまとめることを困難にしてきた。
その結果、多くの海洋博物館は、帝国を称える場ではなく、港町の記憶を残す場所として生まれた。失われた仕事を記録し、海で亡くなった人を忘れない。きわめてローカルな動機が根底にある。
また、スペインの海洋博物館では大航海時代が前面に出ないことが多い。これは意図的だ。大航海時代を語れば、植民地支配や搾取、暴力から逃れられない。民主化以降のスペインでは、帝国の栄光を無邪気に語れなくなった。そこで英雄はぼかされ、航海は技術史へと置き換えられる。人の行為ではなく、地図や羅針盤が語り手になる。
なぜバルセロナ海洋博物館は特別なのか
バルセロナ海洋博物館は、その中でも特に象徴的な存在だ。単なる展示施設ではなく、古文書修復や海事史研究を担う学術機関として高い評価を受けている。中世の造船所がほぼ完全な形で残されている点でも、ヨーロッパ屈指の価値を持つ。
ヨーロッパ全体を見渡しても、中世の造船所がここまで完全な形で保存されている例は極めて少ない。ヴェネツィアやジェノヴァと並び、中世地中海の覇権を争った都市の記憶を、建物そのもので伝えている。
展示が描くのは、征服の海ではなく、都市を支えた海だ。商人、造船職人、港湾労働者。国家ではなく都市と人の単位で海を捉える姿勢は、地中海側の歴史観そのものと言える。
観光面でも配慮が行き届いている。日曜日の午後15時以降は入場無料となり、地元市民が気軽に訪れる場所になっている。日本語のオーディオガイドも用意されており、重要な展示ポイントを日本語で理解できる。これはスペインの博物館ではまだ珍しい対応だ。
700年の時間が刻まれた建造物
バルセロナ海洋博物館の最大の特徴は、展示以前に建物そのものにある。13世紀から18世紀にかけて建設されたドラサナスレアル、王立造船所の遺構をそのまま利用している。世界でも類を見ない中世の産業建築であり、造船という重工業を前提に設計された空間がほぼ完全な形で残されている。
この建物は一度に完成したものではない。数百年にわたり、必要に応じて拡張され続けた。1990年代に行われた大規模修復では、地面の下からさらに古いローマ時代の遺構や、13世紀以前の構造物も発見された。バルセロナという都市が、どれほど長く海と向き合ってきたかを、この場所は無言で語っている。
この建造物はカタルーニャ政府によって国の文化遺産に指定されている。単なる博物館建築ではなく、国家レベルで保護される歴史そのものだ。
現在の洗練された空間を形作ったのは、約30年にわたる長期的なリノベーションプロジェクトだ。設計を手がけたロベルトとエステベのテラダス兄弟は、地元バルセロナを代表する建築家であり、とくにロベルトテラダスは建築大学の教授も務めた人物だ。保存と再生を対立させず、同時に成立させる。その姿勢は、展示空間の随所に表れている。












