
フレデリック・マレスの生い立ちと収集への情熱
フレデリック・マレスは1893年生まれ。裕福な家系の出身ではなく、若い頃から彫刻家としての仕事と教職によって生計を立てていた。
彼が得た収入のほとんどは、生活の向上ではなく収集に費やされた。住居や衣服に贅沢を求めることはなく、古物商や市場、オークションに足を運び、ひたすら物を集め続けた人物である。
彼の収集対象に明確なジャンルの線引きは存在しなかった。中世の宗教彫刻と、近代のタバコのパッケージが同じ価値を持ち得る世界観の中で生きていた。鍵や煙管だけで1つの部屋が成立するほど集める行為そのものに意味を見出していたと言われる。
マレス自身は「人間が作り出した形あるものすべてに価値がある」と考えており、美術と日用品の区別をほとんど意識していなかった。
20世紀初頭、スペイン各地が政治的混乱と経済的困窮に見舞われていた時代、彼は地方の村々を巡り、教会に放置されていた木彫像や祭壇画の断片を買い集めた。二束三文で手放されたそれらは、文化財の救出とも、強者による買い占めとも解釈できる。
この行為は現代の価値観から見れば倫理的に曖昧であり、Museu Frederic Maresを語る上で避けて通れない側面でもある。

美術と日用品の境界を超えたコレクション「フレデリック・マレス美術館(Museu Frederic Marès)」
Museu Frederic Maresは、一般的な美術館とは成り立ちがまったく異なる。王侯貴族や国家が構想した施設ではなく、1人の彫刻家が人生をかけて集め続けた私的コレクションが、そのまま都市の文化資産へと転化した場所である。
1946年、彫刻家フレデリック・マレスが自身の収集品をバルセロナ市に寄贈したことで、この美術館は始まった。収蔵品の数は膨大で、宗教彫刻、美術工芸品、家具、日用品、装身具、玩具、鍵、煙管、宗教画の断片など、分野や時代による整理がほとんど意味をなさないほど幅広い。
展示を見ていると、美術史的な流れを理解するというより、ある人物の頭の中を歩き回っている感覚に近い。そこにあるのは、体系だった学問的コレクションではなく、執着と好奇心の集積である。
スペインに数多く存在する美術館の中でも、Museu Frederic Maresは特に個人の気配が濃い。展示室ごとに価値基準が変わり、時代も用途も異なる物が平然と隣り合う。その雑多さこそが、この美術館の最大の特徴となっている。
中世の王宮が、なぜ個人コレクションの美術館に?
Museu Frederic Maresが入る建物そのものも、バルセロナの歴史を語る重要な存在である。場所はゴシック地区の中心部、旧バルセロナ伯王宮Palau Reial Majorの一角にあたる。
この王宮は中世カタルーニャにおける政治権力の中枢であり、王や伯が実際に居住し、儀式や政治的決断が行われた空間であった。現在もサラ・デル・ティネルなどの大広間が残り、石壁や回廊からは都市が王権によって統治されていた時代の空気が伝わってくる。
その一部が、20世紀になって個人コレクションのための美術館へと転用された点は象徴的である。かつて権力を誇示するための建築が、個人の執念と偏愛の器として再利用されている。
ゴシック様式の重厚な石造建築と、内部に並ぶ無数の小物や宗教彫刻の対比は強烈で、訪問者は常に空間の違和感に晒される。この違和感は偶然ではなく、Museu Frederic Maresという美術館の本質そのものとも言える。

復元と執着が生んだ異様な完成度
マレスの収集の中でも特異なのは、破片を集め続ける姿勢である。祭壇画や彫刻が分断された状態で市場に流通していることを知ると、彼は何十年もかけて残りの断片を探し続けた。
すべてを揃えて元の形に戻すことが目的というより、失われた全体像を想像しながら探し続ける行為そのものに喜びを見出していた節がある。
1946年にコレクションを市に寄贈した後も、マレスは美術館内に自分の部屋を持ち、日常的に展示を監視していた。展示の順番や配置が少しでも変わると激怒し、元に戻させたという逸話が残っている。
この話は、彼が寄贈後もコレクションを手放したとは考えていなかったことを示している。Museu Frederic Maresは公共施設でありながら、最後まで彼個人の所有意識が支配していた場所だった。








