スペインと聞くと、多くの人はフラメンコや闘牛を思い浮かべるかもしれない。だが、もう一つ忘れてはならないのが「酒」だ。ワイン、ビール、シェリー、そして近年はジンまでもが人々の暮らしに根づいている。南北に長く、気候も文化も多様なスペインでは、地域ごとにまったく違う酒文化が発達してきた。本稿では、その多彩な世界を歴史・銘柄・人々の習慣から紐解いていく。
古代から続くブドウと酒の文化
スペインの酒の歴史は紀元前にさかのぼる。地中海沿岸に入植したフェニキア人がブドウを持ち込み、ローマ帝国の支配下でワイン産業が発展した。ローマ時代、タラゴナやカディスのワインは帝国各地に輸出されており、スペインの酒造りはすでに国際的な産業だった。
中世に入ると、イスラム支配によりアルコールは禁止されるが、完全に消えることはなかった。薬用や宗教儀式用として密かに造られ続け、キリスト教勢力の再征服後に復活。こうしてスペイン人にとって「酒と共にある日常」が再び始まった。
ワイン王国スペインの誇り
現在、スペインは世界最大級のブドウ栽培面積を誇る。国土の広さだけでなく、気候の違いがワインの多様性を生んでいる。
代表的な産地は次の通りだ。
- リオハ地方
赤ワインの名産地で、樽熟成の技術が高い。「マルケス・デ・リスカル」「マルケス・デ・ムリェタ」「コンティーノ」などが世界的に知られている。古樽の香りと果実味のバランスが特徴。 - リベラ・デル・ドゥエロ地方
内陸部の寒暖差が大きく、力強い赤が多い。「ベガ・シシリア」はスペイン最高峰のワインと評される。 - プリオラート地方(カタルーニャ州)
ミネラルを多く含む土壌から生まれる濃厚な赤が人気。「クロス・モガドール」などが知られている。 - リアス・バイシャス地方(ガリシア州)
白ワインの産地で、品種「アルバリーニョ」が主流。海の幸に合う爽やかな酸味が特徴で、「パソ・セニョリャンス」が代表銘柄。 - アンダルシア地方(ヘレス)
言わずと知れたシェリー酒の本場。辛口の「フィノ」や甘口の「ペドロ・ヒメネス」など、種類も豊富だ。ボデガとしては「ゴンザレス・ビアス」や「ティオ・ペペ」が有名。
ワインはスペイン人の食卓に欠かせない。昼のメニューには赤か白が自然に添えられ、特別な行事でも日常の食事でも同じように飲まれている。酒というより「食の一部」なのだ。

南が生んだ独特のシェリー酒
ヘレス・デ・ラ・フロンテーラを中心とするアンダルシア地方では、独特の熟成法が生まれた。樽の中で自然発生した酵母膜「フロール」がワインを酸化から守り、独特の香ばしい香りを与える。この偶然の発見が、今日のシェリーを形づくった。
19世紀にはイギリスとの交易で人気が高まり、英国貴族の晩餐には必ずシェリーが並んだ。英語名「シェリー」は、実はヘレス(Jerez)の読みを由来とする。スペインの輸出酒として、いまも世界中で愛されている。
サングリアという親しみやすい酒
スペインを代表する飲み物として、観光客が必ず口にするのがサングリアだ。赤ワインをベースに果物や砂糖、スパイスを加えて作るこの酒は、アルコール度数が6〜12度と穏やかで、甘くて飲みやすい。
名前の由来はスペイン語の「サングレ(血)」から来ており、赤い色が血のように見えることに由来する。もともとは家庭で余ったワインを再利用するための工夫だった。夏の暑さを和らげるために果物を加えて冷やして飲んだのが始まりだ。
実際のスペイン人は、観光地ほどサングリアを飲まない。彼らが普段飲むのは「ティント・デ・ベラーノ」と呼ばれる、赤ワインを炭酸水やレモンソーダで割ったもの。これが本当の「日常の夏の酒」だ。
それでも、サングリアはスペイン文化の象徴的存在であり、国内各地でオリジナルレシピが存在する。アンダルシアではシナモンを効かせ、カタルーニャでは白ワインを使うこともある。

スペインはジン大国でもある
意外に思われるが、スペインはヨーロッパ屈指のジン消費国だ。近年は国産のクラフトジンも急増している。バルでは夜になると「ジントニック」を頼む人が非常に多く、上質な氷と香草を添えるスタイルが定着している。
有名なスペイン産ジンには次のようなものがある。
- マオルキン(Menorca Island):メノルカ島の伝統的ジンで、300年以上の歴史を持つ。イギリス海軍の影響で生まれたとされる。
- ジン・マーレ(Gin Mare):地中海ハーブを使ったクラフトジン。ローズマリー、タイム、バジル、オリーブが香る。世界的にも評価が高い。
- ナバロジン(Navarre Gin):ピレネー山脈の湧水と地元植物で作られた、香り豊かな1本。
2000年代に高級バルで流行した「デザインジントニック」が火付け役となり、現在ではスペイン全土でジン文化が根づいている。ワインの国と思われがちだが、実はジンの国でもあるのだ。

地域ごとに味わいが異なるスペインのビール
スペインのビールはワインほど注目されないことが多いが、地域ごとに個性がはっきりしており、地元民はこだわりを持って楽しむ。暑い気候に合わせた軽く冷たいラガーが多いが、苦味や香り、アルコール度数は地方によって微妙に異なる。
代表的なビールブランドは以下の通り。
- マオウ(Mahou):マドリード発祥。軽快で香ばしいラガー。
- エストレージャ・ダム(Estrella Damm):バルセロナの老舗。地中海料理に合う軽い口当たり。
- エストレージャ・ガリシア(Estrella Galicia):北西ガリシア地方の人気ブランド。麦芽の風味が強く、苦味がしっかりしている。
- クルスカンポ(Cruzcampo):セビリア生まれ。暑い南部で最も愛されるビールで、軽く爽やか。
さらに近年はクラフトビールも広がり、バルセロナやマドリードには小規模ブルワリーが増えている。地元産の麦芽やホップを使った実験的なビールも多く、味わいの個性にこだわる人々に人気だ。
スペインのビール文化は「軽く飲む」だけでなく、地域の特性や食文化と密接に結びついており、単なる嗜好品ではなく生活の一部として大切にされている。

バルで体験する食と酒の関係
スペインのバルでは、酒は単独で楽しむものではなく、食事と一体となる。小皿料理のタパスとワインやビールを組み合わせることで、酒の味わいが引き立つ。地域ごとのタパス文化や、昼と夜で変わる飲み方の違いも面白い。観光客はバル巡りを通して、食と酒の密接な関係を自然に体験できる。
日常に根付く飲酒の習慣
スペインでは、飲酒は特別な行事だけでなく日常生活の一部だ。昼食にグラスワインを軽く飲んだり、友人や家族と夜にバルで小杯を交わすのが一般的。未成年の飲酒は禁止されているが、家庭では少量のワインに触れる文化もある。酒は生活の中で自然に親しまれる存在だ。
ワインツアーとバル巡りで見る文化
ワインの名産地では、ワイナリー見学や試飲を通して生産者のこだわりに触れられる。リオハやプリオラートではブドウの品種や熟成方法が異なることを体感でき、ヘレスではシェリー酒の貯蔵庫で製法を学べる。都市部ではバル巡りが文化体験となり、各地の酒文化を楽しみながら知ることができる。
地域ごとに味わいが異なる酒の文化
スペインでは北部と南部で酒の嗜好が大きく異なる。ガリシアやカタルーニャではアルバリーニョやクラフトビールなど繊細な味わいを楽しみ、アンダルシアでは軽やかなラガーやシェリー酒が好まれる。さらに地域ごとに地元産ジンやフルーツ酒もあり、旅行者は地域の特色を比べるだけで、酒文化の多様性を体験できる。

