観光地の路上で見た光景
バルセロナの海沿い、青い地中海を背にして人々が行き交う歩道に、突然白い布が広げられる。上にはサッカーユニフォーム、ブランドバッグ、サングラス、スニーカーが整然と並ぶ。値札はない。買う気もない通行人たちが横目に通り過ぎる。
だが、次の瞬間、遠くに警察の姿が見えると、彼らは一斉にロープを引き、布ごと商品をまとめ、逃げ去る。まるで波が引くように、跡形もなく消える。
この光景は、スペインの観光地ではおなじみのものだ。
「Top Manta(トップ・マンタ)」――直訳すれば「布の上」。その名の通り、地面に布を広げて商品を売る路上販売者たちを指す。
彼らは違法販売者であり、警察からすれば取り締まりの対象だ。しかし、もう少し近づいてみると、その背後にはスペイン社会の抱える複雑な現実が横たわっている。
「トップ・マンタ」とは何か
スペインでは、屋外で商品を販売する行為(venta ambulante)は、基本的に自治体の許可を必要とする。許可なく行えば、罰金や商品の没収を受ける。それでもトップ・マンタの販売者が後を絶たないのは、彼らに「それ以外の選択肢」がないからである。
販売者の多くは、西アフリカ出身の移民だ。セネガル、ガンビア、モーリタニア、ナイジェリア――内戦や貧困を逃れて海を渡り、スペインにたどり着いた人々である。だが、正規の滞在許可を得るのは容易ではない。滞在許可がなければ就職できず、家も借りられない。結果として、「布の上で生きる」しかない人々が生まれるのだ。
「布の上の経済」とはどんなものか
トップ・マンタの多くは、実は自営業ではない。
背後には商品を供給する中間業者が存在する。売り手たちは商品を預けられ、売れた分だけ歩合をもらう仕組みだ。つまり、販売者は末端の労働者にすぎない。
この構造の中では、利益のほとんどが中間業者に吸い上げられる。商品は偽物も多く、仕入れルートは中国や北アフリカから来るとされている。警察に没収されれば、弁償は販売者の責任となり、借金が増える。
結果として、彼らは「働いても貧しいまま」という悪循環に閉じ込められていく。
あるセネガル人の販売者はこう語った。
「1日中、太陽の下で立っても、1枚も売れない日がある。それでも外に出ないと、夜食べるものがない。」
観光客の無関心と矛盾
観光地では、トップ・マンタの販売者は観光客の目に映る「風景の一部」になっている。
誰もが見慣れ、誰もが避ける。
一部の観光客は興味本位で値段を聞くが、本気で買う人は少ない。
スペインの法律では、偽物を買った側も罰金対象になる場合がある。例えば、バルセロナやマヨルカ島の一部都市では、購入者に数百ユーロの罰金が科される可能性がある。そのため、観光客もリスクを恐れ、買い控える。
売れない。それでも彼らは毎日布を広げる。
それは商売というより、生存の証のような行為だ。
なぜスペインなのか ― 植民地時代からの影
なぜ西アフリカの人々がスペインに多いのか。
その背景には、植民地時代の歴史的なつながりがある。
スペインはかつてアフリカ北西部の一部(西サハラ、赤道ギニアなど)を支配していた。言語・宗教・文化的なつながりが残り、独立後も「ヨーロッパへの玄関口」としてスペインが意識されてきた。
1990年代以降、アフリカからの移民が急増し、彼らの一部が非正規滞在者として都市部に滞留するようになった。特に2000年代初頭の経済危機以降、職を失った人々が合法・非合法問わず仕事を求めて路上に出るようになった。
トップ・マンタは、まさにグローバルな不平等の影が路上に映し出された形である。
「逃げる人々」と「追う警察」
観光地では、警察とトップ・マンタの間で“静かな攻防”が繰り広げられている。
警察官が現れると、販売者たちは一瞬で布の四隅のロープを引き、背負って逃げる。熟練者になると、数秒で撤収できるという。警察もそれを承知しており、実際には「いたちごっこ」に近い。
しかし、この追走劇の裏には悲劇もある。
2015年、マドリードでは逃走中のセネガル人販売者が転倒し、心臓発作で死亡した事件があった。これをきっかけに「彼らを犯罪者扱いするな」というデモが起き、市民の間で議論が広がった。
スペイン社会は、「違法行為」と「人間の尊厳」の狭間で揺れている。
「労働組合」が生まれた路上
2015年、バルセロナで「Sindicato Popular de Vendedores Ambulantes(移動販売者労働組合)」が結成された。
トップ・マンタたち自身が立ち上げた組織で、合法的な職業訓練や販売の権利を求めて活動している。
彼らはこう訴える。
「私たちは犯罪者ではない。働きたいだけだ。」
この組合は「Top Manta」という名前をあえて掲げ、皮肉にもそれをブランド化した。彼らは自らデザインしたTシャツやスニーカーを販売し、収益で正規の就労支援を行う。
“違法”の象徴であった言葉が、いつしか“尊厳”の象徴へと変わりつつあるのだ。
「マンタ経済」が映すスペイン社会の矛盾
トップ・マンタは単なる貧困の象徴ではない。
それはスペインが抱える経済の二重構造を映している。
一方で観光都市は年々華やかになり、高級ホテルやブランドショップが立ち並ぶ。
その足元で、観光客が落とす小銭を頼りに生きる人々がいる。
このギャップは、リーマン・ショック以降の失業率の高さ、移民政策の遅れ、そして観光業依存の経済構造に起因する。
トップ・マンタは、言ってみれば「グローバル経済の最下層」が可視化された現象なのだ。
「売れない」ことが意味するもの
実際のところ彼らの商品はほとんど売れていない。
それでも路上に出る理由は、「何かをしていないと生きている実感がない」からだという。
セネガル出身のアリは、こう語っている。
「売れなくても外に出る。誰かに見られることで、自分がまだこの世界にいると感じられる。」
この言葉は重い。
トップ・マンタとは、経済活動である以前に、「存在を社会に示す行為」でもある。
売り物の布の上には、生活と尊厳が置かれているのだ。
行政の対応と社会のまなざし
スペインの行政は、長らく取り締まり一辺倒だった。だが近年では、一部の自治体が「共存策」に舵を切り始めている。
例えば、バルセロナ市では社会的包摂プログラムを通じて、販売者の合法的就労を支援する試みがある。
また、地元住民の中にも、彼らを単に「迷惑」と見るのではなく、「同じ社会の構成員」として支えようとする人々が増えている。教会やNGOが彼らにスペイン語教育や法律相談を提供し、「マンタの外」で働けるよう支援している。
一方で、観光業界や商店主の中には「街の景観を損ねる」「不公平だ」と反発する声も根強い。
スペイン社会全体が、いまだに答えを見つけられずにいる。
観光客ができる小さな選択
旅行者として、この現実をどう受け止めるべきか。
まず、「買わない」ことが第一歩だ。
それは単に偽物を避けるという意味ではなく、「搾取の連鎖に加担しない」という倫理的な選択でもある。
だが同時に、「見て見ぬふりをしない」ことも大切だ。
彼らは違法行為者である前に、一人の生活者であり、人間である。
スペインでは、観光客と移民労働者が同じ通りを歩く。
その対比の中に、グローバル化した現代の不平等が凝縮されている。
布の上に見える未来
トップ・マンタは、単にスペインの問題ではない。
世界中の観光地で、似たような現象が見られる。
偽物を売る路上販売者、安い労働に頼る観光業、そしてそれを支える私たち消費者。
「布の上で生きる人々」の存在は、私たちの社会の仕組みそのものを映す鏡である。
その布を片付けさせるだけでは、問題は消えない。
必要なのは、彼らが布の外で生きられる社会をつくることだ。
それは時間のかかる道のりだが、そこにこそ本当の解決がある。
風景の一部としての現実
布がたたまれて、そこに並んでいたユニフォームや小物は消える。
けれど確実に、彼らはそこに存在していた。
観光客のアルバムには写らないかもしれない。
トップ・マンタがある日もあれば、ない日もあるだろう。
しかし、時は変わることなく流れていく。
その流れの中で、誰もが通りを歩き去り、街だけがそこに残る。
布を広げるか、たたむか、それぞれの選んだ一日を背負って、彼らはまた次の日を迎える。
関連動画
■Top Manta presents Ande Dem | The World Around Summit 2022
バルセロナのマンテロ(路上販売者)たちが“Top Manta Cooperative”を設立し、自らのブランド「Ande Dem(ウォロフ語で “ともに歩む”)」を立ち上げる取り組みを発表している