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世界の果てと呼ばれた道
スペインの北西、ガリシア地方。そこに、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂」という大きな教会がある。この教会を目指して、昔から人々はとても長い道を歩き続けてきた。その道は「カミーノ・デ・サンティアゴ」と呼ばれている。それは「聖ヤコブの道」という意味だ。世界中から毎年たくさんの旅人が、自分の足でこの道を歩いている。十キロ、百キロ、長い人は八百キロも歩く人もいる。なぜ人はそんなに遠く、しかも歩いてまでこの道を目指すのだろうか。

聖ヤコブと伝説のはじまり
聖ヤコブの伝説
この巡礼の物語は、約千二百年前にさかのぼる。
伝説によると、イエス・キリストの弟子の一人「ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)」が、イスラエルから遠く離れたイベリア半島まで布教に来たという。
やがて彼は殉教し、その遺体が不思議な力で海を渡り、今のガリシア地方に流れ着いた。夜空には無数の星が輝き、その星々が遺体の場所を指し示したという。
それが「コンポステーラ(Campus Stellae=星の野原)」という地名の由来だと伝えられている。
遺体発見の奇跡と「星の野」
9世紀の初め、羊飼いが夜の野原で光を見つけ、そこを掘ると石の棺が出てきた。中には聖ヤコブの遺体が安らかに眠っていた。
この知らせを受けた当時の王、アルフォンソ2世は、その地に教会を建て、最初の巡礼を行った。これが「巡礼路の始まり」と言われている。
その後、中世ヨーロッパでは“聖地を訪ねること”が信仰の証とされた。エルサレム、ローマ、そしてサンティアゴ。この三つの場所が「キリスト教三大巡礼地」として知られるようになったのだ。
巡礼路の歴史:戦いと平和の道
巡礼路は、ただの宗教的な道ではない。それは、中世ヨーロッパの歴史そのものと深く関わっている。
スペインを守った騎士ヤコブの伝説
昔、イベリア半島は、北アフリカからやってきたイスラム教を信じる勢力が広い範囲を治めていた。キリスト教徒たちは、自分たちの土地を取り戻そうと、長い間戦い続けた。この戦いをレコンキスタ(国土回復運動)と呼ぶ。
聖ヤコブは、この戦いにおいて、キリスト教徒たちの守り神とされた。白い馬に乗り、剣をかざして兵士たちを助けたという伝説もある。
巡礼路は、ヨーロッパ中からやってくる巡礼者たちによって、イスラム勢力に対抗するためのキリスト教の文化と結束を運び込む役割も担ったのだ。道沿いには多くの教会や修道院が建てられ、文化の交流が盛んになった。
最盛期と衰退、そして復活
中世の11世紀から13世紀にかけて、巡礼路は最も栄えた時期を迎える。ヨーロッパ中から何十万人もの人々が、信仰の証として、あるいは自分の犯した罪を償うためにこの道を歩いた。当時の巡礼者は、まさに国際的な旅人であり、道はヨーロッパの「大動脈」の一つだった。
その後、ペスト(黒死病)のような恐ろしい病気の流行や、ヨーロッパでの戦争などによって、巡礼者の数は激減してしまう。巡礼路は忘れ去られ、ただの地方道になってしまった時期もあった。
しかし20世紀の終わり、ある神父がその道を復活させた。
エリアス・バリエ神父。彼は古い地図をもとに、草に埋もれた巡礼路を歩き、道標を立てた。
やがて青い背景に黄色い貝殻のマーク――あの有名な「カミーノのサイン」が生まれた。
1987年、カミーノ・デ・サンティアゴはヨーロッパ文化街道第一号に認定され、1993年にはユネスコの世界遺産にも登録された。
今では世界中から30万人以上が毎年歩いている。日本人巡礼者も年々増えている。

どこからでも始まる道
この巡礼路には決まった出発点はない。有名なのはフランスとスペインの国境近くから始まる「フランス人の道」だが、ポルトガル、北スペイン沿岸部、さらには自宅の玄関から歩き出す人もいる。つまり、巡礼路は「心で決める道」だ。
フランスの峠を越えて
巡礼路の代表は「フランスの道(Camino Francés)」である。
多くの巡礼者はフランスの町サン=ジャン=ピエ=ド=ポーから歩きはじめる。そこからピレネー山脈を越え、スペインに入る。
この最初の一日は、とてもきつい。
険しい坂道が続き、霧や雨が容赦なく襲う。だが、山を越えると、広がるのはスペインのナバーラ地方の美しい丘だ。

距離と時間
有名な「フランス人の道」は約800キロメートル。速い人でも1か月ぴったりかかる。のんびり歩く人は2か月以上かける場合もある。昔も今もペースは人それぞれだ。
伝説の「ホタテガイ」
巡礼者のトレードマークは「ホタテ貝」だ。巡礼路では多くの人がリュックや杖にホタテ貝を付けている。なぜか。
昔、巡礼者たちは川や泉で水を手で汲んだが、ホタテガイの貝殻はスプーン代わりになった。大聖堂までたどり着いた証として「ホタテガイ」を持ち帰るのが習わしだったため、今もその習慣が残っている。

ひょうたんの杖と水筒
昔の巡礼者は、長い道のりを支える杖を持っていた。そして、この杖の先にひょうたん(ボタ)をぶら下げていた。ひょうたんは、もちろん水筒として使うためだ。
この杖とひょうたんは、巡礼者にとって旅の必需品だった。杖は厳しい道のりを助け、ひょうたんは命の水を運ぶ。現代の巡礼者も、多くはハイキング用のポール(杖)を持ち、水筒は必ず携帯している。
巡礼の証明書:コンポステーラ
巡礼を終え、サンティアゴの大聖堂にたどり着いた巡礼者は、「コンポステーラ」という証明書を受け取ることができる。これは、「この人はちゃんとここまで歩き切りましたよ」という、世界でたった一つの卒業証書のようなものだ。
この証明書をもらうためには、巡礼路の最後の100km以上を徒歩で旅したことを証明しなければならない。
証明のために使うのが「クレデンシャル(巡礼手帳)」だ。巡礼者は、この手帳を道沿いの教会や宿泊施設(アルベルゲ)などでスタンプ(セージョ)を押してもらい、旅の証としていく。
このスタンプ集めは、スタンプのデザインも様々で、巡礼の楽しい思い出の一つにもなっているのだ。
巡礼者メニュー(メヌー・デル・ペレグリーノ)
巡礼路沿いのレストランやバルでは、巡礼者だけが食べられる「メヌー・デル・ペレグリーノ(巡礼者メニュー)」というものが用意されていることが多い。これは、前菜、メイン、デザート、そして飲み物がセットになった、安くてボリューム満点の特別な定食だ。
歩き疲れた体に、この巡礼者メニューは最高のエネルギー補給となる。
石畳と信仰の町たち
山を越えた巡礼者たちは、パンプローナ、ログローニョ、ブルゴス、レオンといった町を抜けて進む。
それぞれの町には、大聖堂や修道院、そして巡礼者をもてなす宿があった。
パンプローナでは毎年「牛追い祭り」が行われるが、昔から信仰の町としても知られていた。
ブルゴスの大聖堂はゴシック様式の傑作で、白い石が太陽の光を反射し、まるで天に向かうようにそびえる。
巡礼路の真ん中にある「メセタ」と呼ばれる平原は、まるで地平線が続く砂の海だ。
何もない荒野を何十キロも歩く。太陽が照りつけ、風が乾いた草を揺らす。
この区間を「心の試練の道」と呼ぶ人もいる。自分の弱さや孤独に向き合う時間が、ここにはあるのだ。
ある日本人巡礼者は、メセタでこう語った。
「ここを歩いていると、昨日までの悩みがどうでもよくなる。ただ風と太陽と自分しかいない。」
まさにこの場所で、多くの人が“心の静けさ”を取り戻していく。
サンティアゴの星の伝説
ガリシア地方に入ると、風景が一変する。湿った森、苔むした石橋、小川のせせらぎ。まるで日本の山里のようだ。
霧が立ちこめる朝、木々の間から光が差し込む。その光を「ヤコブの星」と呼ぶ人もいる。
かつて夜空の天の川を「カミーノ・デ・ラス・エストレージャス(星々の道)」と呼んだ。
天の川が東から西へと流れるように、巡礼路も同じ方向にのびている。星の道をたどるように、人々はサンティアゴを目指す。
中世の修道士は言った。「星が指す先に神の光がある」と。
サンティアゴという名が“星の導き”と結びつくのも、この神秘的な一致によるものだ。
旅の終わり:サンティアゴ・デ・コンポステーラへ
長い道のりを歩ききり、ついにたどり着くのがサンティアゴ・デ・コンポステーラだ。
ゴール地点の大聖堂
大聖堂の前に広がるオブラドイロ広場に立った時、巡礼者は特別な感情に包まれる。それは、目標を達成した達成感、そして旅の終わりにたどり着いた安堵(あんしん)だ。
大聖堂の中には、聖ヤコブの遺骨とされるものが安置されている。そして、巡礼者は、聖ヤコブの像の後ろ側にまわり、像が身につけているマントに触れたり、キスをしたりする慣習がある。これは、長い旅を終えた感謝と、聖人への敬意を表す行為だ。
(※注意:像を抱きしめる行為は、以前は行われていましたが、現在は衛生面や像の保存のため、禁止されています。マントに触れるのが正しい慣習です。)

ボタフメイロ:超巨大なアロマディフューザー
サンティアゴの大聖堂のミサで、運が良ければ見ることができるのが、ボタフメイロ(Botafumeiro)だ。これは、大聖堂の天井から吊り下げられた、まるで巨大な壺のような香炉のこと。
この香炉は、8人もの大男たちが、ロープを使って力を込めて揺り動かす。その勢いはものすごく、香炉が聖堂の天井近くまで、まるでブランコのように大きく舞い上がるのだ。重さも約50キログラムもある。
このボタフメイロの中には、お香がたっぷり入っており、煙と香りが聖堂全体に広がる。まるで、超巨大なアロマディフューザーのようだ。
昔の巡礼者は、長い旅の疲れで体臭がきつくなっていたため、この香炉を使って空間を清める目的があったという裏話がある。しかし、今では、巡礼の終わりにふさわしい、荘厳(そうごん)で感動的な、歓迎の儀式となっている。
巡礼路が教えてくれること
歩くことで見える心の風景
カミーノを歩くと、人は変わる。
それは不思議なほど静かな変化だ。
最初は地図を見て距離を気にしていた人が、いつの間にか空や風を見つめるようになる。
スマートフォンの画面より、目の前の小さな花に心を動かされるようになる。
この道には「Buen Camino(ブエン・カミーノ)」という言葉がある。
すれ違うたびに交わすあいさつで、「良い旅を」という意味だ。
その一言が、疲れた足をもう一歩前に進めてくれる。
ある巡礼者は言った。
「カミーノでは、言葉よりも笑顔が通じる。国も宗教も関係ない。ただ“同じ方向に歩く人”なんだ。」
だからこそ、この道は“人の道”とも呼ばれる。
歩くたびに、他人への思いやり、自分の弱さ、そして世界の広さを感じるのだ。

だれでも巡礼者になれる
体が強くなくても、スポーツが苦手でも、始めてみれば意外な発見がある。この道は「どこからでも始めていい道」だからだ。自分のペースで進むこと、困っている人を助けること、自分の心を見つめること——これこそがサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の本当の魅力だ。
