カオスと秩序が共存するバルセロナ建築

石畳の下にローマ帝国、目の前には未来都市。そんな光景が同時に存在する都市は世界でも稀だ。
バルセロナという都市が、世界中の人々を惹きつけてやまない理由は、その景観が持つ圧倒的な多様性と、ある種の無秩序さが生むカオスなエネルギーに集約される。
一歩足を踏み入れれば、数千年前の石積みと、21世紀の超近代的なガラス張りのビルが隣り合わせに存在し、さらには植物のような曲線を持つ奇抜な住宅が、厳格な碁盤目状の街区の中に平然と収まっている様子を目にする。
このような唯一無二の景観は、決して偶然の産物ではなく、この土地が歩んできた数奇な歴史と、そこに住まう人々の強烈なアイデンティティが「重ね書き」されてきた結果だ。

バルセロナの建築がこれほどまでに多様で、ある種カオスな魅力」を持っているか

古代ローマから続く都市の積層と重層構造

バルセロナの建築を理解する上で、まず外せないのが「古くから栄えた都市」という側面である。
この街の物語は、紀元前1世紀頃に築かれたローマの植民都市「バルキノ」から始まった。
中世の商業都市、近世の港湾都市、そして産業革命期の工業都市へと、時代ごとにその役割を劇的に変えてきたが、都市が一度も完全に破壊され、作り直されたことがない。

バルセロナの軌跡前編 バルセロナはどう生まれ発展したのか 古代ローマから続く都市の積層と重層構造

新しい時代の建築は、常に過去の遺構の上に「上書き」ではなく「重ね書き」される形で積み上げられてきた。
現在、中世の面影を強く残すゴシック地区を歩くと、その建物の地下や壁体の一部には、2000年前のローマ時代の城壁や塔、基礎が今なお現役で使われていることに気づかされる。
バルセロナ歴史博物館に足を踏み入れれば、現代の街路の下に、ローマ時代の道路や染色工房、さらにはワイン製造施設までもが、かつての姿を留めたまま静かに横たわっている。

特筆すべきは、これらのローマ遺構が、単なる「展示用の遺跡」として隔離されていない点にある。
中世の石造り建築がローマの城壁を外壁として転用し、さらに19世紀の補修を経て現代の住居として使われ続けるという、建築の接ぎ木のような現象が街のいたるところで見受けられる。
この歴史の地層が、バルセロナの街並みに独特の深みと、時代が入り混じるカオスな空気感を与えている。

碁盤目都市が生んだ表現の自由

この計画を立案した都市計画家イルデフォンス・セルダは、当時ほとんど理解されず、理想主義者と揶揄された人物だった。しかし後世になり、彼の設計思想は「近代都市の原型」と評価されることになる。

バルセロナの都市構造を劇的に変え、現在の多様性を支える土台となったのが、19世紀半ばに実施された「セルダ計画」に他ならない。
当時、産業革命によって人口が急増し、不衛生な環境に喘いでいた旧市街を救うべく、都市計画家イルデフォンス・セルダは広大な拡張計画を打ち出した。
これが現在のエイサンプル地区である。

セルダ計画が生んだ秩序という名のキャンバス

上空から見れば、この地区は極めて理性的な碁盤目状の街区で埋め尽くされている。
すべての街区は正方形でありながら、交差点での視認性を確保し、路面電車が曲がりやすいように、角を45度に切り落とした八角形をしているのが特徴だ。
建物の高さや奥行きも厳格に規定され、都市としての秩序はここで完成されたかに見えた。

セルダが設計したのは、カオスの舞台だった

しかし、バルセロナの面白さは、この「構造的な秩序」の中に「表現の自由」を同居させた点にある。
街区の形状や高さといった枠組みだけは揃えつつも、その内側、すなわち建物のファサードのデザインについては、驚くほどの裁量が施主や建築家に委ねられた。
その結果、遠くから眺めれば整然とした秩序を感じさせる都市でありながら、いざ街路を歩いて建物を一つひとつ見つめると、隣り合うビルが全く異なる色彩や装飾、バルコニーの形状を競い合うという、雑多で刺激的な景観が生まれた。

セルダが設計したのは、カオスの舞台だった
セルダが設計したのは、カオスの舞台だった

カタルーニャ人としての矜持と建築による自己主張

なぜこれほどまでに、建築家たちは表現を競い合ったのか。
そこにはカタルーニャ人特有のアイデンティティが深く関わっている。
19世紀後半、カタルーニャ地方では独自の文化や言語を再評価し、復興させようとする「ラ・ルネサンサ(La Renaixenca、再興)」運動が巻き起こった。

この運動の影響を受け、建築家たちは「中央政府のあるマドリードとは違う、自分たちの誇り」を視覚的に示そうとした。
彼らが着目したのは、14世紀頃に最盛期を迎えた「カタルーニャ・ゴシック(Catalan Gothic)」という独自の様式であった。
この様式をベースにしつつ、スペインに色濃く残るイスラム風の「ムデハル様式」のエッセンス、すなわちレンガの精緻な積み上げや色鮮やかなタイル装飾、幾何学模様を大胆に取り入れた。

これに当時最新だった鉄鋼技術やガラスを融合させることで、バルセロナ特有の「重厚でありながら派手」なスタイルが確立された。
これがカタルーニャ・モダニズム(モデルニスモ)の正体である。
彼らにとって建築とは単なる機能的な空間ではなく、民族の誇りや思想を外に向けて語りかけるメディアとしての役割を担っていた。

富裕層競争が生んだ装飾建築

モデルニスモ建築がこれほどまでに華やかで、時に「無駄が多い」と評されるほど過剰になった背景には、産業革命で富を築いた実業家たちの存在がある。
彼らにとって、自宅をいかに奇抜で豪華なデザインにするかは、自らの社会的地位やセンスを誇示するためのステータスシンボルであった。

例えば、建築家のアントニ・ガウディ(Antoni Gaudí)は、施主の予算や常識よりも自身の構想を優先することで知られ、完成後に「想像以上の装飾」が追加されていることもしばしばあったという。依頼主は驚きながらも、その圧倒的完成度の前に最終的には納得せざるを得なかった。

アントニ・ガウディだけでなく、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluís Domènech i Montaner)や、ジョセップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)といった建築家たちは、競い合うように施主の欲望を具現化していった。
当時の邸宅建築は、言わば富裕層同士の無言の競技場であり、隣家より目立たなければ敗北とさえ見なされた。通り一本がそのまま建築展覧会のようだったと言われるほどである。
植物や動物をモチーフにした複雑な彫刻、虹色に輝くモザイクタイル、波打つような曲線。
これらは合理性を重んじる近代建築の視点から見れば、構造的に必須ではない「無駄」の極致だ。

リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluís Domènech i Montaner)サン・パウ病院
リュイス・ドメネク・イ・ムンタネール(Lluís Domènech i Montaner)の代表作サン・パウ病院。
ジョセップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)カサ・アマトリェール(Casa Amatller)
ジョセップ・プッチ・イ・カダファルク(Josep Puig i Cadafalch)の代表作カサ・アマトリェール(Casa Amatller)。

しかし、この「建築が自己主張してよい」という社会的合意こそが、バルセロナを世界でも類を見ない「見せる舞台」へと変貌させた。
住宅という極めて私的な空間であっても、通行人に向けて強烈なメッセージを放つファサードを持たせる。
バルセロナにおいて、建築は沈黙を守る機能体ではなく、常に何かを語り続ける饒舌な存在であり続けてきた。

聖と俗がぶつかる街並み

バルセロナの景観を際立たせているもう一つの要因は、カトリックの影響と、それに対抗するような世俗的な美意識の拮抗にある。
ヨーロッパの多くの都市では、教会の権威が圧倒的であり、最も壮麗な建築は常に宗教施設であった。
しかしバルセロナでは、市民ブルジョワジーが力を持ち、教会ではなく自分たちの住まいや集合住宅に莫大な富と美意識を注ぎ込んだ。

街の守護聖人を祀るサンタ・エウラリア大聖堂(バルセロナ大聖堂)。
街の守護聖人を祀るサンタ・エウラリア大聖堂(バルセロナ大聖堂)。

その結果、サグラダ・ファミリア(Sagrada Família)のような宗教建築と、カサ・バトリョ(Casa Batlló)やカサ・ミラ(Casa Milà)のような住宅建築が、同じくらいの視覚的インパクトを持って並び立つという珍しい状況が生まれた。
聖なるものと俗なるものが、互いに譲ることなく個性を主張し合う。
この緊張感のある並存が、都市の「カオスな魅力」をより一層深めている。

アントニ・ガウディ(Antoni Gaudí)カサ・バトリョ(Casa Batlló)
アントニ・ガウディ(Antoni Gaudí)の代表作カサ・バトリョ(Casa Batlló)。

また、1980年代後半からは、これらのモダニズム建築を都市のブランドとして積極的に再評価する動きが強まった。
過去の遺産をただ保護するだけでなく、観光資源として磨き上げ、都市の顔として戦略的に活用する。
このブランディングの成功により、バルセロナは「世界で最も美しい建築の街」としての地位を不動のものにした。

グラシア通りは建築・歴史・都市文化が一体になった都市空間
グラシア通りは建築・歴史・都市文化が一体になった都市空間。19世紀末から20世紀初頭にかけて富裕層が住居を構え、名建築家による邸宅が並ぶ「屋外建築博物館」のような景観が生まれた。

過去と未来が同居する都市構造

1992年のオリンピック開催を機に、バルセロナは再び建築による大規模な自己変革へと乗り出した。
ここでの姿勢もまた、過去を否定するのではなく、新たな層を付け加えるという一貫したものだった。
ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)や磯崎新といった国際的な建築家を招き、旧市街や産業遺産が残る地区のすぐ傍らに、超近代的なビルを建てることを許容した。
フランスの建築家ジャン・ヌーヴェルは都市の光と色彩を建築に取り込み、日本の磯崎新は歴史都市にあえて異質な造形を差し込むことで知られる。彼らの参加は、バルセロナが過去だけでなく未来とも対話する都市であることを象徴している。

磯崎新の代表作パラウ・サン・ジョルディ(Palau Sant Jordi)。
磯崎新の代表作パラウ・サン・ジョルディ(Palau Sant Jordi)。

古いレンガ造りの工場跡に、突如として現れるガラスとメタルのタワー。
新旧が混じり合うことを恐れず、むしろその衝突から生まれる新たなエネルギーを都市の魅力として取り込む。
悪く言えば統一感がなく、良く言えば常に進化を続ける。
バルセロナの建築は、合理性や節度よりも、表現の豊かさと歴史の連続性を優先してきた結果の集大成といえる。

ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の代表作トーレ・グロリエス(Torre Glòries)。
ジャン・ヌーヴェル(Jean Nouvel)の代表作トーレ・グロリエス(Torre Glòries)。

この街では、同じ通りを歩いていても、視線を少し上げるだけで時代が数百年単位で飛び越える。
機能主義の観点から見れば、バルセロナの街並みは「過剰に雄弁で、騒がしい」ものに映るかもしれない。
しかし、時代ごとの人々の欲望や祈り、誇りが、地層のように積み重なり、時に接ぎ木されながら生き続けているこの街は、都市そのものが一つの壮大な生命体のような躍動感を放っている。
朝は修道院の鐘、昼は観光客、夜はナイトクラブ。時間帯によって都市の人格すら変わる。
この「重層的なカオス」こそが、バルセロナをバルセロナたらしめている真髄に他ならない。

バルセロナの建築を語る上で欠かせないのが、先述したサグラダ・ファミリアの完工に向けた近年の劇的な変化である。
完成が近づくにつれ、この巨大な聖堂が都市全体の景観にどのような新たな意味を加えるのか、その進捗を詳しく確認してみるのはいかがだろうか。

サグラダ・ファミリアを建築・工学視点で工程を解説しており、設計思想や構造技術まで理解できる。

この街では壁すら自己主張する。

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