エピスコパル宮殿(Episcopal Palace of Astorga)

エピスコパル宮殿(Episcopal Palace of Astorga)

火災再建に際してガウディが設計した司教邸。カタルーニャ・モダニズムを地方都市で示す数少ない作品。

ガウディの挫折とアストルガの拒絶

アントニ・ガウディが手がけた数少ないバルセロナ国外の作品として知られるこの宮殿だが、建設の過程は決して平坦なものではなかった。当時の司教であったフアン・バウティスタ・グラウ・イ・バリェスピンが同郷の友人であるガウディに設計を依頼したことからプロジェクトは始まったが、地元の建設委員会や職人たちとの間には当初から深い溝が存在した。

カタルーニャ地方特有の独創的なデザインを提唱するガウディに対し、保守的なアストルガの気風は冷ややかであった。特にガウディが現場に常駐せず、バルセロナから指示を送るスタイルをとっていたことも不信感に拍車をかけた。1893年に最大の理解者であったグラウ司教が急逝すると、後任の司教や委員会との対立は決定的なものとなり、ガウディは設計図をすべて焼き捨てて現場を去った。

未完成のまま放置された暗黒の歳月

ガウディが去った後、宮殿は屋根すらない未完成の状態で10年以上も放置されることとなった。この期間がアストルガのエピスコパル宮殿におけるいわゆる黒歴史に相当する。風雨にさらされた石材は劣化し、地元住民からは税金の無駄遣いとして非難の対象となった。結局、別の建築家であるリカルド・ガルシア・ゲレータが引き継いで完成させたが、彼はガウディの過激な装飾案を大幅に簡略化し、実用性を重視した設計に変更した。

宮殿の正面に配置される予定だった3体の巨大な天使像も、本来は屋根の上に設置されるはずのものだった。しかし、ガウディ不在の中で構造上の不安や設置技術の欠如から屋根に載せることができず、長らく庭に放置されていた。現在もこれらの像は地上に置かれたままであり、ガウディの当初の構想が完全には実現しなかったことを象徴する光景となっている。

司教館として一度も使われなかった皮肉

この建物はエピスコパル宮殿、つまり司教の住居として建設されたが、実際に司教がここに住んだことは一度もない。あまりに個性的で複雑な内部構造は、宗教的な住居としての落ち着きに欠けると判断された。また、完成した頃にはすでに多額の負債を抱えていたことも影響している。

結局、この華美な建物は司教館としての機能を果たさないまま、現在はサンティアゴ巡礼路に関する資料を展示する「巡礼の道博物館」として利用されている。本来の目的を一度も達成することなく、観光資源としてのみ生き残った経緯は、建築史上でも珍しい皮肉な結末といえる。

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