バスク地方でピンチョスと聞くと、多くの日本人が真っ先に思い浮かべるのはサンセバスチャンだろう。美食都市として長年世界的な評価を得ており、ガイドブックや旅行サイトでも高頻度で取り上げられてきた。その結果、サンセバスチャンこそがピンチョスの中心であり、絶対的な王者だという認識が広く浸透した。しかし近年、旅行者や在住者の間で静かに広がっている意見がある。ピンチョスは実はサンセバスチャンよりビルバオの方が美味しいのではないかというものだ。この意見は話題作りの逆張りではなく、具体的な根拠に基づいた考察が含まれている。本稿ではその説の背景と根拠を整理しながら、両都市でピンチョスを楽しむ際に役立つ情報を提示する。
サンセバスチャンの美食イメージと現実のギャップ
サンセバスチャンはミシュラン星付きレストランの密度が高く、美食に関心を持つ人にとって象徴的な存在だ。旧市街には多くのバルが並び、美しく盛り付けられたピンチョスがカウンターに並ぶ様子は旅行者に強烈な印象を与える。この視覚的演出がサンセバスチャンのピンチョスの品質イメージを押し上げてきた側面がある。
しかし旅行者や在住者の声を集めると、別の側面も浮かび上がる。サンセバスチャンにはたしかに質の高い店が多いものの、そうではない店も同じくらいか、それ以上に多い。特に旧市街の中心部では観光客の増加によって回転率重視の店も存在し、作り置きや単純なメニューの繰り返しが増えたという声が多い。旅行者が期待を込めて店に入ったものの味に強い印象を持てなかったという体験談は珍しくない。
さらに旧市街のバルの多くはメニューが似通っている。海老やアンチョビ、イクラ、タラなどバスク定番食材を使ったメニューが多く、どの店でも似た構成が目に入る。もちろん伝統的な味を守ることは価値があるが、旅行者にとってはバルごとの差異が見えにくくなる。サンセバスチャンは高評価の店が存在しながらも、平均点で見ると極端に高いわけではないという現実がある。

どこも同じメニューが多いという問題
サンセバスチャン旧市街は観光需要が大きく、安定した売れ筋メニューを採用する店が多い。ひとつの店が成功すると周囲の店が似たメニューを採用し、結果的にエリア全体が画一化する構図が生まれている。バル巡りをする旅行者にとって、店ごとの個性よりも定番を効率よく提供することが優先されているように感じられることもある。
特に複雑な調理工程を必要としないピンチョスは、混雑時に対応しやすい反面、新鮮さや創造性が抑えられやすい。旅行者が旧市街を歩き、数軒を巡ったあとに「どこも同じものを出している」という印象を持つのは、ある程度仕方のない状況だと言える。

ビルバオが美味しい4つの明確な理由
ビルバオはサンセバスチャンほど美食都市のイメージが強くない。しかしピンチョスに関しては「実はビルバオの方が美味しいのではないか」という声が増えている。その背景にはいくつか明確な要因がある。
1 地元民基準の競争が強い
ビルバオは街の規模が大きく観光に完全依存していない。そのためピンチョス店の競争相手は主に地元客だ。観光客を対象にした表面的な魅せ方より味やコストパフォーマンスを重視した店が多く、品質を保たなければ固定客を失うリスクが大きい。結果として日常食の延長として高品質なピンチョスが提供される環境が形成されている。
2 観光エリアの新メニュー開発が活発
ビルバオの観光エリアは再開発が進み、新しい飲食店が継続的に増えている。新規参入が多いため既存店は挑戦的なメニューを出す必要があり、この競争が創造性を刺激している。伝統食材を組み合わせた現代的なアレンジや、季節食材を積極的に取り入れたピンチョスが多く、旅行者にとっての新鮮さが高い。メニューが似通ってしまったサンセバスチャン旧市街と対照的だ。
3 作り置きより注文後調理が多い
ビルバオでは注文後に仕上げるタイプのピンチョスが多く、温度や食感が最適な状態で提供される。特に揚げ物や温かい料理ではこの差が顕著で、旅行者の満足度を大きく押し上げている。サンセバスチャンでも同様の提供方式は存在するが、旧市街の混雑店では作り置きが増えがちで、その差が体験価値に影響している。
4 コストパフォーマンスが高い
ビルバオのピンチョスは価格と品質のバランスが良い。観光地価格に寄りすぎないため、複数の店を巡るバルホッピングがしやすい。味と価格の総合評価でビルバオを支持する声が多いことは納得できる。

食べ比べて分かった二大都市の個性
以下に両都市の特徴を比較する。
ブランド力は強いが画一化も進む美食都市・サンセバスチャン
サンセバスチャンは美食都市としてのブランドが強く、伝統と洗練の両方を重視している。歴史あるバルでは構成が整ったクラシックなピンチョスを味わえる。一方で旧市街全体ではメニューの画一化が進み、新鮮な驚きが少ないという意見も多い。繁忙期は混雑が激しく、注文方法に慣れていない旅行者はプレッシャーを感じやすい。

多様性と実力を兼ね備えたビルバオのピンチョスシーン
ビルバオは多様な調理スタイルが共存し、伝統的なピンチョスから現代的なアレンジまで幅広い。新メニュー開発の頻度が高く、エリア全体が更新され続けている印象がある。地元基準の品質維持により、味のブレが少ない。観光客向けの派手な演出よりも料理本体の味を重視する傾向が強く、食べて納得しやすい。

地元民だけが知るバスク美食の裏側
バスクの飲食業界では、サンセバスチャンの名声への対抗意識がビルバオ側にあると言われる。サンセバスチャンが国際的に評価される一方で、ビルバオは料理人の実力が十分あるにもかかわらず比較されにくいという不満がかつて存在した。この意識が若手料理人の挑戦意欲を刺激し、新メニュー開発が活発になったとされる。
また地元住民の間には「観光客が増えるほど料理は観光向けに調整される」という共通認識がある。サンセバスチャン旧市街が観光中心になり、料理の個性が弱まったという意見は地元でもよく聞かれる。一方でビルバオは観光客が増えても地元基準での品質管理が続いており、観光需要と地元需要のバランスが味を保っているという見方が多い。
サンセバスチャンとビルバオ、旅行者が選ぶべき都市は
結論は目的によって異なる。
サンセバスチャンは美食都市としての象徴的存在であり、初めてバスクを訪れる人にとっては街の雰囲気を体験する意義が大きい。ただし旧市街でのピンチョス体験は必ずしも平均点が高いわけではなく、店選びに注意が必要だ。
ビルバオはピンチョスの質が安定し、新メニュー開発が盛んで創造性も高い。ピンチョスそのものを目的にするならビルバオを優先する方が満足度は高い。特に複数のバルを巡る場合は、ビルバオの方が店ごとの個性や発見が多い。
味の満足度や新しさを求めるならビルバオの優位性は強いと言える。サンセバスチャンのブランドイメージに期待しすぎると落差を感じやすいが、ビルバオは期待値を超えやすい。
