街角に漂う苦味の記憶
スペインの街を歩けば、どこからともなく漂ってくる焙煎された豆の香りがある。朝のバルで新聞を片手にカフェソロを飲む老人。昼下がりに友人とカフェ・コン・レチェを分け合う主婦たち。夜のディナーを終えたあと、眠気覚ましに短い一杯を頼む若者。スペイン人にとってコーヒーとは、単なる嗜好品ではなく、日常のリズムそのものを刻む存在である。
しかし、その「一杯」は時代とともに確実に変化してきた。古くは素朴なカフェソロ(濃いブラックコーヒー)が主流だったが、現在ではエスプレッソマシンが至るところに導入され、イタリア的な飲み方がすっかり定着している。スペインのコーヒー文化は、いつ、どのようにして変化を遂げたのだろうか。
スペインにおけるコーヒーのはじまり
アラブ世界からの贈り物
コーヒーがヨーロッパに伝わったのは17世紀初頭のことだが、スペインにとってその出発点は他国とはやや異なる。なぜなら、コーヒーを嗜む文化の源であるアラブ世界との接点が、イベリア半島には古くからあったからだ。
8世紀から15世紀にかけて続いたイスラーム支配期、アンダルシア地方では香辛料や砂糖、香料と並んで、アラブ的な飲料文化が根付いた。コーヒー自体が当時のスペインに直接もたらされたわけではないものの、「香りを楽しむ」嗜みの習慣はその時代に芽吹いていたと考えられる。
「カフェソロ」のはじまり
17世紀末から18世紀にかけて、スペインの港町にコーヒー豆が本格的に輸入され始める。最初にコーヒーを口にしたのは、修道士や学者など知識層だった。修道院では夜の祈りのために眠気を覚ます目的でコーヒーが重宝され、マドリードやセビリアには「カフェ」という言葉を冠した店が少しずつ生まれた。
当時のコーヒーは今のようなエスプレッソではなく、粗く挽いた豆を煮出して作る濃厚な飲み物だった。これがのちの「カフェソロ」の原型である。
バルとともに育ったカフェソロ文化
バルという生活空間
スペインでコーヒーが広まる上で欠かせなかったのが「バル」の存在である。バルは単なる酒場ではなく、町の情報交換の場、友人と語らう場所、そして一日のリズムを刻む空間だった。
バルのカウンターには朝から人が集まり、パンと一緒にカフェソロを飲みながら一日の計画を立てる。昼には軽食とともに、午後には仕事の合間に、夜には食後の一杯として。スペイン人にとってコーヒーは、食文化の一部というより、社会文化の一部であった。
砂糖とミルクのバランス
カフェソロは基本的にブラックコーヒーだが、スペイン人の多くはそこに砂糖を加える。エスプレッソよりもやや長めに抽出されるため、苦味が強く、砂糖でまろやかさを出すのが一般的だった。
また、朝は「カフェ・コン・レチェ(ミルク入りコーヒー)」、午後は「カフェ・コルタード(少量のミルクを加えたコーヒー)」といったように、時間帯によって飲み分ける文化が生まれた。このリズムは今も多くのスペイン人に受け継がれている。
エスプレッソの波と技術革新
イタリアからの影響
20世紀に入ると、コーヒーの淹れ方に革命が起きる。イタリアで発明されたエスプレッソマシンの登場である。高圧で抽出することで、従来の煮出し式よりも短時間で深い味わいを得ることができた。
スペインでは1930年代にイタリアからこの技術が伝わり始めたが、普及が進んだのはフランコ政権後の1950〜60年代である。観光業の発展に伴い、イタリアやフランスからの旅行者が増え、バルやカフェでもモダンなマシンが導入されていった。
フランコ政権下の「控えめな贅沢」
フランコ政権期のスペインでは、経済が閉鎖的で高級品の輸入が難しかった。そんな中で、カフェのマシンを持つことはある種のステータスだった。多くのバルでは手動のレバー式マシンが導入され、マスターが腕前を競い合うようになる。
当時の人々にとって、カフェソロは日常の中の小さな贅沢であり、政治的な制約の中でも個人の自由を感じられる瞬間だった。

スペイン独自のコーヒー表現
地域で異なる呼び方
スペインは地域ごとに文化が大きく異なる国であり、コーヒーの呼び方も地方によって違う。アンダルシアでは「ソンブラ(影)」と呼ばれる薄いミルクコーヒーがあり、バレンシアでは「カラヒージョ(ラム酒入りコーヒー)」が人気だ。カタルーニャでは「トールナット」と呼ばれる泡立てたミルク入りが好まれる。
これらの多様な呼び方は、コーヒーがスペイン各地の生活にどれだけ溶け込んでいるかを物語っている。
カラヒージョの誕生秘話
カラヒージョ(carajillo)は、コーヒーにラムやブランデーを加えた刺激的な飲み物である。その起源には諸説あるが、有力なのは19世紀のキューバ説だ。スペイン統治下のキューバで、兵士たちが士気(coraje)を高めるためにコーヒーにラムを混ぜたのが始まりとされている。
「勇気の一杯」という名のこの飲み方は、のちにスペイン本土へ逆輸入され、いまや昼食後の定番となった。
グローバル化とエスプレッソ文化の定着
チェーンカフェの登場
1990年代後半から2000年代にかけて、スペインにもスターバックスなどの国際的チェーンが進出した。当初は「外国風すぎる」と抵抗感を持つ人もいたが、若者を中心に急速に浸透した。
これにより、カフェ文化が再び再編された。エスプレッソマシンが一般化し、ラテアートや豆の産地への関心も高まった。スペインの若者たちは、もはや「バルの一杯」だけでなく、「空間を味わう」コーヒーを求めるようになった。

ローカルカフェの再生
一方で、チェーン店の台頭は、地元の小さなカフェにも刺激を与えた。彼らは大量消費に流されることなく、豆の焙煎や抽出にこだわりを持つようになった。
マドリードやバルセロナでは、地元焙煎所が立ち上がり、「サードウェーブ・コーヒー」と呼ばれる新しい潮流が生まれている。伝統的なカフェソロの味わいに、現代的な技術と感性が融合し始めているのだ。
バリスタという新しい職人像
バルのマスターからバリスタへ
かつてスペインでは、コーヒーを淹れる人を特別に「バリスタ」とは呼ばなかった。バルの店主や従業員が、自然にコーヒーを出していたからだ。しかし、国際的なコーヒー競技会やトレーニング文化が入ってくると、スペインにも「技術を持つ専門職」としてのバリスタが誕生した。
彼らは豆の選定、抽出の温度、ミルクの泡立て、すべてに科学的な知識を取り入れ、従来の「感覚の職人」から「理論の職人」へと進化していった。
伝統との共存
とはいえ、スペインのコーヒー文化の根底には、バルという生活の場がある。最新のマシンを操る若いバリスタたちも、結局は「人と人をつなぐ一杯」を大切にしている。
朝の常連客に合わせて砂糖を先に入れておくような気遣い。昼下がりの短い休憩にぴったりの濃度で出す工夫。そうした人間味が、どんなに技術が進化してもスペインのコーヒーを特別なものにしている。

観光地で見るコーヒーの二面性
旅人のための味、地元のための味
観光地のカフェでは、外国人向けに「エスプレッソ」や「カプチーノ」が定番となっている。一方、地元の人々は今でも「カフェソロ」や「コン・レチェ」を注文する。
同じマシンで淹れても、味の設計が違う。観光客向けは浅煎りで香り重視、地元客向けは深煎りで苦味を重んじる。そこに、スペインらしい二重構造が見える。つまり、コーヒーひとつで「内と外」の文化が交錯しているのだ。
バルセロナのエピソード
バルセロナ旧市街の小さなバルで、80歳の店主が語っていた。
「昔は、客が何も言わなくてもその人のカフェソロの濃さが分かったもんだ。いまは観光客が多くて、同じ味で出すしかない。でも、常連のマリアが来たら、少し多めに抽出する。それが昔ながらのやり方さ」
そこには、変化の中に残る人間の温度があった。
スペインの「遅いコーヒー」と「速いコーヒー」
立ち飲み文化の根強さ
エスプレッソマシンの普及によって、抽出は早くなったが、スペイン人の飲み方は意外なほど「速い」。朝の出勤前、立ったままわずか数分で飲み干す。それでも彼らにとって、その短い時間が一日のリズムを整える儀式になっている。
一方で、昼や夕方にはゆっくりと座って談笑しながら飲む。スペインのコーヒーは「速さ」と「遅さ」が同居しているのだ。
スローライフの象徴としての一杯
コロナ禍を経て、在宅勤務が増えたスペインでは、家でゆっくり淹れるコーヒー文化が広まった。ドリップやフレンチプレスを使う若者も増え、エスプレッソ一辺倒ではない多様性が芽生えている。
その背景には、「コーヒーを飲む時間を取り戻したい」という思いがある。高速化する日常の中で、スペイン人は改めて一杯の時間を大切にしようとしている。
カフェソロの記憶、エスプレッソの未来
スペインのコーヒー文化は、アラブの香りを受け継ぎ、修道士の夜を支え、バルの喧騒の中で育ち、そしてイタリアの機械によって変貌した。
いま、マドリードの若者が手にするのは美しくラテアートの施されたカプチーノかもしれない。だが、その根底には、祖父の時代の「カフェソロ」の精神が息づいている。
一杯のコーヒーは、ただの飲み物ではない。国の歴史、地域の誇り、そして人と人とのつながりを映し出す鏡である。
スペインのコーヒー文化は、これからも変わり続けるだろう。しかし、どんなマシンが登場しても、どんなトレンドが生まれても、あの街角の香りだけは変わらない。それは、スペインという国そのものの香りである。